エンタメ・アイドル
毎熊克哉、仕事ほぼゼロの雌伏の時期を経て、『光る君へ』でロス現象を起こすまでにブレイク「まだ、37歳。やったことがないもののほうが圧倒的にある」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.05.26 11:00 最終更新日:2024.05.26 11:00
「ボトルは置いてくれる期間が決まってるじゃないですか。もうないと思って久しぶりに来たら、ボトルがあって嬉しかったです」
こう笑いながら麦焼酎の炭酸割りを美味しそうに飲み干す毎熊克哉の前には「マイグマ」と書かれたボトルが置かれている。
東急田園都市線の宮前平駅近くにある「宮前村の台所 せいや」は、毎熊が近くに住んでいたころに “嗅覚” で見つけた馴染みの一軒だ。今は住まいが離れてしまったが、田園都市線沿いなどに来た際には足を運んでいる。
「居心地と美味しさ、すべてが自分の中でマッチした感じです。多いときは週に2回ほど来ていました。最初はビール、それから焼酎か日本酒にいきます。必ず食べるのはだし巻玉子焼き。出汁がひたひたに溢れていて美味しい。コロッケはせんべいを砕いたものを衣にして揚げているので、サクサクして絶品。何を食べても美味しいんです」
【関連記事:「光る君へ」でブイレク 俳優・毎熊克哉が仲間たちと映画を自主制作・配給する理由】
満足そうに箸を進めながら、子供のころから抱いている夢を懐かしそうに話し始めた。
「子供のころから映画が好きで、映画を観ていればおとなしくしていたみたいです。初めて映画館で観たのは『ジュラシック・パーク』。6歳の子供にはかなり衝撃的でした。それからもレンタルショップで映画を借りて、返しに行ったときにまた借りてと、洋画をよく観ていました。そのころは “映画に出ている人” ではなくて、“映画を作る人”になりたいと思っていました」
中学、高校と進んでも、その夢がブレることはなかった。高校卒業後、映画監督を目指して上京。東京フィルムセンタースクールオブアート専門学校(現、東京俳優・映画&放送専門学校)の映画監督科コースに進学する。
「学校を探して資料を見ていたときに、僕の進学した学校はほかと比べてキャッチーだったんです。講師の方や授業のカリキュラムがハリウッドスタイルだったので、洋画を観て育った僕は、そこに惹かれました」
映画監督を目指す若者が集う同校は、実践重視の校風だった。
「当時は俳優より監督を目指している人のほうが多かったんですよ。ある意味、カオスみたいでした。自分が監督を務めて2本撮ったんですが、演じている人に『もっとこうして』というのを、どう伝えていいかわからない。自分が何を撮りたいのか悩んだことも含めて、ある意味、しんどい3年間でした」
どうすれば相手に伝わるのかを知ろうと、卒業後、 “撮る側” ではなく “演じる側” となるため事務所に入った。
「自分に向いてないものってわかりますよね。毎週、ワークショップを受けて、俳優の技術や知識はないものの演技のイメージはあったので、向いてないことはないと思ったんです。同時に、演技には正解がないから永遠に到達できない壁に当たってしまったような気もしました。
向いてないと思わなかったから続けたんですが、一生、這い上がれない危険な場所に来てしまったという感覚もありました」
エキストラなどの仕事はあったが、そのまま4年が過ぎていく。25歳のとき、「このままじゃまずい」と考え、事務所をやめてフリーになった。だが、事務所からの紹介の案件もなくなり、本当に仕事がなくなった。
「自分では就職できるギリギリの年齢だと思っていました。俳優を続けるか、やめるかの究極の選択。どっちの人生が楽しいかなって考えたときに、まだ “才能がないからやめよう” と思えるほど俳優の仕事をしていないと思ったんです。ここで本当に腹をくくりましたね」
仕事がほとんどないまま過ごした20代前半。毎熊が腹をくくれたもうひとつの理由がある。同じ境遇の仲間と制作集団「Engawa Films Project」(通称エンガワ)を立ち上げたことだ。
「この仲間と自主製作で映画作りをしていたから、あきらめずに俳優を続けてこられたというか。エンガワがなくてアルバイトだけだったら、ダメになっていました」
そんな毎熊に大きな転機が訪れる。専門学校の同級生だった小路紘史(37)の監督作品で毎熊とカトウシンスケ(42)が主演を務めた映画『ケンとカズ』が2015年の第28回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門で作品賞を受賞。
毎熊も翌年、第71回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞する。
「いろんな人が集まってきて、次回作に出てくれと声をかけられたり。それまで誰にも注目されていなかったのに、一気に人に見られるようになって。それはいいことなんですが、ストレスにもなって、慣れない筋トレをした後の筋肉痛のような状態でした(笑)」
注目されたことで調子に乗り自分を見失ってしまう人もいるが、毎熊は違った。
「頑張りたくても頑張れなかった今までがあって、30歳手前にしてやっとスタートラインに立てた。ここから長く走っていくためには、ひとつ、ひとつの作品をしっかり演じていくこと。それをしなかったら、あっという間に元に戻ってしまうだろという感じでした」
その通りに精いっぱい演じてきた毎熊は多くの作品に出演し、そのたびに違う毎熊を見せてくれる。ドラマ『彼女たちの犯罪』(2023年、読売テレビ)では、主人公たちと深く関わる医師を演じた。
「最後までクズ男でしたよね。でもヒール役は昔から好きなんです。悪役が魅力的じゃないと、ヒーローが際立たないというか。『彼女たち︱』も僕が最悪だからこそ、彼女たちが魅力的になる。嫌な役をやって皆さんに嫌われたら、『よし!』って感じです」
嫌われたと思ったら、大河ドラマ『光る君へ』(NHK)では、毎熊が演じた直秀が世を去った際には、“直秀ロス”という言葉まで生まれるほど慕われた。
「それは本当に嬉しいし、驚きました。まさかそんなに悲しんでもらえるとは1mmも思っていなかったので。主人公に絡む役なので、出すぎず引っ込まなすぎずの塩梅が難しかったですが、視聴者にうまく伝わったかなと思います。同じような役が続くとイメージがついてしまうので、それを裏切っていくような役を演じていきたいです。まだ、37歳。やったことのないもののほうが圧倒的に多いので、飛び込んでいきたい」
現在公開中の映画『東京ランドマーク』は、毎熊のもうひとつのライフワークといえる “エンガワ” の初長編作だ。
「今回、自分は裏方で映画に出演していませんが、ゼロ段階から関わって、手作りで完成させた作品が世に出た喜びは、なによりも強くて。
これからもこんな思いを感じられる作品に関わっていきたいです」
そう話し終わった毎熊のボトルの焼酎は、残りわずかとなっていた。
まいぐまかつや
1987年3月28日生まれ 広島県出身 東京フィルムセンタースクールオブアート専門学校(現・東京俳優・映画&放送専門学校)の映画監督科コースに進学。2008年映画制作集団「Engawa Films Project」を立ち上げ、短編を多数制作。卒業後は俳優に転身。主演映画『ケンとカズ』(2016年)で第71回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞などを受賞し、高い評価を得る。現在、ドラマ『好きなオトコと別れたい』(水曜24:30〜、テレビ東京系)に出演。5月18日からEngawa Films Projectの初長編作『東京ランドマーク』がK’s cinema(新宿)にて公開中
【宮前村の台所 せいや】
住所/神奈川県川崎市宮前区小台2-7-19 ニューラポール1F
営業時間/17:00〜23:00(L.O.22:00)
定休日/月曜日
写真・野澤亘伸