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橋爪功の息子・遼が語る「薬物逮捕」からの復帰…自助プログラム、俳優再チャレンジ、そして「絶縁関係」といわれた父との関係
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俳優・橋爪功の息子である橋爪遼氏(写真・皆川拓哉)
「東京に戻ってきて、一度だけ、築地に行ったことがあるんです。『何も悪いことしてないから、いま声かけられても大丈夫!』と自分に言い聞かせながらも、ちょっとドキドキするんですよね。逮捕されたのが築地署だったので。あのとき、ここにいたんだよなあ……という感慨深さはありました」(橋爪遼・以下同)
本誌のインタビュー取材に応じ、都内某所に単身あらわれた俳優の橋爪遼。38歳という実年齢より若々しいたたずまいで屈託なく語るが、その発する言葉には実感が込められていた。
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2004年に俳優デビューした橋爪は、ドラマ『ドラゴン桜』(TBS系)、 『1リットルの涙』(フジテレビ系)、『のだめカンタービレ』(フジテレビ系)、映画『男たちの大和/YAMATO』など、数多くの作品に出演を重ねた。父親は演劇界の大御所にして、日本屈指の名優・橋爪功。偉大な父を持つ “2世俳優” というレッテルをはねのけ、独自の存在感と演技力でバイブレイヤーとして頭角を現していた矢先、事件は起こる。
2017年6月、橋爪が覚せい剤取締法違反(使用)の罪で逮捕・起訴されたのだ。大物俳優の息子が起こした不祥事は世間の耳目を集め、センセーショナルに報道された。東京地裁が下した判決は、懲役1年6カ月、執行猶予3年。所属事務所から解雇処分を受け、保釈後は奈良県の依存症回復支援施設に2年半ほど入っていたという。
長い活動自粛期間を経て、最近はSNSで近況を発信している。再び俳優人生を歩み始めたいま、何を思うのか。現在の心境、逮捕後の約8年間を振り返ってもらった――。
「回復プログラムを受けた2年半は寮生活。カリキュラムを終了し、卒業証書をいただいた後のバイト時代も含めると、奈良には6年間いました。最初は、裁判が終わったら東京に戻ろうと思っていました。でも、事件当時は実家暮らしだったんですけど、実家に簡単に戻れるわけでもない。寮生活では、自分と近い年代の人たちがいて居心地よかったこともあり、裁判の判決が下る頃には『全部のプログラムをクリアしてみよう』という気になっていました。
もちろん、俳優のお仕事をしたいという思いは、片隅にありました。自分が台なしにしたことなんですけど、やっぱりもう一回やりたい思いが強かった。とはいえ、簡単に口にしちゃいけないだろうなと、あきらめていました。回復プログラムの『自分との対話』に集中するためにも、いったん俳優や芝居のことは忘れようと思ったんです」
■施設で体験した自助プログラムとは
施設ではどんなプログラムを実践したのか。
「『リカバリーダイナミクス』は、12のステップをもとに実行していくプログラムのひとつであり、依存症回復にはさまざまなアプローチが存在します。カウンセリングではなく、個々の体験を共有しながら回復を目指すグループワーク形式が主体となっています。たとえば、自分の弱さや傷ついた記憶、傷つけた人をリストにまとめ、その解決策を第三者とグループトークする。その後に、自分の気持ちを相手に直接伝える “埋め合わせ” というステップをおこなうのが、大まかな概要です。
最終段階では、就労プログラムといって、実際に働いてみて社会復帰を目指す目的で、アルバイトも経験しました。タウンワークで求人を探して応募するんですが、僕が採用されたのは食品工場。このバイトはプログラムが終わったあとも、約3年ほど続けました。工場は奈良を離れるまで務めていました。その工場で正社員として働かないかという話を頂いたこともあります。僕の場合はメディアに出ていた事情もあり、後々それが知れたらご迷惑がかかるかもしれないので、素性から何があったかまですべて面接で社長にご説明し、受け入れていただきました」
そんな日々のなか、東京に戻る機会を得たのが2022年のことだった。
■復帰への足がかりは高知東生らが差し伸べた救いの手
「映画『アディクトを待ちながら』のプロデューサーで、『ギャンブル依存症問題を考える会』代表の田中紀子さん、俳優の高知東生さんとつながったのが転機でした。出演のお話をいただいた当初は、『自分がこの作品に関わることが適切かどうか』と悩みました。
でも、ナカムラサヤカ監督には10代の頃にオーディションでお会いしたことがあり、そのご縁で『ぜひ出てほしい』と監督が仰っているという話を聞かされて、腹を決めたんです。そこからはどんどん熱が再燃する形ですね」
2024年6月に公開された『アディクトを待ちながら』は、封切りから7カ月以上たったいまも全国各地で異例のロングラン上映となっている。ギャンブル、アルコール、ゲーム、そして薬物……。さまざまな「依存症者(アディクト)」が直面する苦難と、そこから立ち直ろうと懸命に生きる様を描き出す作品だ。同作には、主演の高知東生はじめ、実際の依存症者が多数起用されている。
一時は俳優業から身を引き、東京からも離れていた橋爪にとって、『アディクト~』への出演は、依存症からの回復過程を社会に伝える機会となった。とはいえ、現実はシビアだ。
「いろんな方面に『お仕事ください』とお願いしたり、オーディションを受けたりしているんですが、なかなかうまくいっていません。基本、書類落ちで、事務所に所属するにも至らず、手をこまねている状態です。完全に甘えなんですけど、俳優としてやっていくために、どこかの事務所のお力を借りたい。
10代で俳優をしていた頃って、ある意味トントン拍子で事務所も決まりました。同世代の俳優よりは苦労せずに俳優に専念できていたので、いざ1人でやるとなると、何をすればいいのかわからなくて。
いまは、参加したワークショップで作る短編映画などに何本か出演しながら、フリーの俳優として活動しています。自主映画を作っている20~30代の監督さんは、熱く才能ある方が多いので、その方々といずれご縁がつながって、少しずつでも映画のお仕事ができれば理想ですね」
■依存症予防教育アドバイザーとして講演も
映画での露出を増やしながら俳優業に力を入れている橋爪だが、依存症予防教育アドバイザーの資格も有している。そのため、俳優業と並行して依存症に関する啓発活動をおこなっている。
「単体で講演の依頼があるのは月1回くらいで、あとは高知さんたち仲間と一緒にトークさせていただく機会が多いですね。それだけでは食っていけないので、普通にバイトを掛け持ちしています。俳優の予定が何もない週は、5日くらいバイトを入れていますよ」
昨今、違法薬物で逮捕された芸能人への風当たりは強い。それらの俳優・タレントの起用にスポンサーも二の足を踏む現状があるなかで、橋爪自身も復帰を果たした人に複雑な感情を抱いている。
「ピエール瀧さんとか、薬物使用後に再起する方もいらっしゃいますよね。冗談半分ですけど、やはりもとの知名度の差なんだろうなと。活躍されていた方がやらかしても、そりゃ復帰できるよなと(笑)。もちろん、そういう方々は人間関係も含めて努力なさっていると思うし、努力していなかった人間の単純な嫉妬なんですけど、変にすねる自分もいます。自分も、そういう復帰を果たした一員になりたい、というのが本音ですね」
■「不仲」と言われた父親との関係を総括
事件後、気になるのが父親や家族との関係だ。父・功の劇団関係者によると「遼君の話を劇団内でするのはタブー」という証言もあったが……。
「もともと、父は家族と仕事を厳しく分ける主義なんです。僕が10代で俳優の道に進んだ頃から、息子の仕事について口を出すことはしない。僕の話がタブーなのではなく、昔からの延長で大っぴらに話さないと決めているだけです。
以前、ある週刊誌が父に直撃したところ、『息子のことはノーコメント』と答えた。親子関係は険悪で、僕が絶縁されている……という内容の記事でしたが、それがいつもの父という感覚です。先日、友人と一緒に父の朗読劇を観に行きましたし、その後の楽屋でたわいのない話もしましたよ。家族としては、ときどき顔を合わせて過ごしています」
父・功は、息子が俳優業で苦戦する様子をどう見ているのだろうか。
「手を差し伸べるとか口利きするとか、いまもそうだし、昔からいっさいありません。そういう親の手助けが悪いことだとは、別に思わないんですよ。使える伝手はなんでも使ったほうがいいじゃないですか。うちの場合はそれがなかったというだけで、そこに関して特に思うことはなかったですね。
お互い踏み込まれたくない領域は絶対あると思うし、かといって僕が父の芝居を観て、どうこう言うこともないです。僕自身は、父の舞台を基本、全部観に行ってます。僕のなかでは『橋爪(功)さんって舞台の上ではとてつもない人間だ』と思っているので。毎回、『なんでこんなにすごいんだ、ムカつくな』ってリスペクトしながら拝見しています(笑)」
干渉しない父子関係は、事件当時も徹底していたようだ。
「当時、母親とは回復施設のことで相談したことがあったんですけど、父は放っておいてくれました。事件のこと、今後のことにまったく干渉しないでくれたので、逆にありがたかったですね。もちろん、施設から『息子さんはいま、こういう状態ですよ』という報告は行っていたはずなので、ちゃんとやっているんだなと認識していたんでしょうけど。
家族と連絡をとったのは、施設に入って1年半後のことでした。施設内では携帯電話を取り上げられて、誰にも連絡できないんですが、大事な人に直接対面するプログラムの一環で、一年半ぶりに実家に帰り、当時抱いていた思いを伝えたところ、穏やかに聞いてくれました。
父のほうも、『こういう家族関係で2世と呼ばれて、お前にしんどい思いをさせてしまったこともあったのかもしれない』と打ち明けてくれて、心が軽くなった思いがしたのを覚えています」
■過去とどう向き合っていくのか
最後に、薬物依存の過去に関して、どう向き合っていくのか聞いてみた。
「もう断ち切った、自分は大丈夫と言いたいですけど、そう簡単には言えないなと。いまも自助グループの会合に定期的に通っていますが、施設で学んだ回復プログラムはずっと続けていく必要があるでしょう。依存症からの回復は、継続的な取り組みが必要なプロセスであることを常に意識しています。
薬物に触れうる状況になったとき、そこで断る方法や経験を必ず持っていないとダメだし、それをこの7年間ずっと培っているところです。逮捕されて『すべてが終わった』と絶望していた頃の自分とは全然違う生き方をしているので、そういう意味では一歩ずつステップアップしていると思います。
ただ、もしスリップ(薬物を再使用)した人がいても、そのことに対して嫌悪感を抱いて拒絶したり、『なんでお前はまた手を出したんだ』と責めたりするつもりはありません。そういう限界が自分にも来るかもしれないということを肝に銘じて、生きていきたい。二度と薬物はやらないのが大前提ですけどね」
橋爪はXのプロフィール文にこう綴っている。
《日々一歩一歩 ゆっくりと。。》
かつて自身の過ちでつまづき、周回遅れとなった役者人生。取り戻すべく踏み出した一歩は、着実に前へ――。