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みのもんたさん、本誌が見てきた「銀座の帝王」と「愛妻家」の素顔…不倫騒動では「正座させられました」

亡くなったみのもんたさん
3月1日、みのもんたこと御法川法男(みのりかわ・のりお)さんが亡くなったことがわかった。享年80。
軽妙かつ人情味あふれる語り口で愛された名司会者は、“銀座の帝王” と呼ばれるほど豪快な遊び方で知られ、本誌にもたびたび登場した。
「僕の場合にはね、朝やって、昼やって、ゴールデンもやってね、そりゃ、数打ちゃこうなるよ(笑)。じゃ、(記事を書くなら)派手に頼むよ!」
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本誌の直撃取材にこう答えたのは、2006年のこと。当時は『午後は〇〇おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)、『朝ズバッ!』(TBS系)はじめ、夜の時間帯にも多数のレギュラー番組を抱えていた。「日給2000万円、年収50億円」ともいわれた絶頂期だ。鎌倉に5億円の豪邸を建てているとの噂を聞きつけ、自宅を訪ねた本誌記者に元気に答え、カメラに向かってVサインまで出すサービスぶりだった。
2011年6月には、東日本大震災の取材姿をキャッチ。取材前日に宮城県仙台市に入ったみのさんは、夜の街に “出勤”。高級料亭での食事後は高級スナックへ。そしてシメには、着物姿の女性たちを引きつれラーメン店へーー。3月11日の震災当日夜、六本木の高級キャバクラに繰り出していたことでバッシングを受けたみのさんだが、帝王らしく “夜の復興支援” をしていたのだ。
そんなみのさん、じつは大の愛妻家でもあった。
1991年、司会をしていた『おもいッきりテレビ』の女性アシスタントとの不倫疑惑が報じられた当日、本誌は電車でラジオ局へ向かう夫妻を取材。靖子夫人は何事もなかったかのように冷静だったーーと当時の記事にはある。みのさんは、大学の放送研究会の後輩だった靖子夫人と1970年に結婚。以来、妻として、そしてスタイリストとして夫を支え続けた。
その夫人は、2012年にがんのため66歳で死去。気持ちの整理がつかなかったみのさんは、遺骨を長らく自宅のキッチンに置き、七回忌でようやく納骨できたという。
2019年、本誌がみのさんをたずねると、1991年の本誌の記事をおぼえていた。
「記事は読みましたよ。あのときの女性カメラマン、懐かしいな。あの方お元気? よろしく言っておいてください」。さらに「家内からは『未婚の女性にご迷惑をおかけしたことは、申し訳ないことなのよ』と怒られ、正座させられました(笑)」というエピソードも明かしてくれた。
いまごろは、奥さんに亡くなった後の出来事を報告しているのかもしれない。