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みのもんたさん、57年の芸能人生にあった空白期間…人気に火がついた “最初のエピソード” とは

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記事投稿日:2025.03.10 06:00 最終更新日:2025.03.10 10:07
出典元: SmartFLASH
著者: インタビューマン山下
みのもんたさん、57年の芸能人生にあった空白期間…人気に火がついた “最初のエピソード” とは

2005年、5億円豪邸の建設を本誌に明かしたみのもんたさん。お茶目な一面を見せてくれた(写真・佐々木 恵子)

 

 3月1日に、みのもんたさんがお亡くなりになりました。みのさんは『午後は〇〇おもいッきりテレビ』『秘密のケンミンSHOW』(日本テレビ系)、『みのもんたの朝ズバッ!』(TBS系)、『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ系)など人気番組の司会者としておなじみ。最盛期には16本のレギュラー番組を抱え、「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」として、ギネス世界記録にも認定されました。

 

 筆者は以前、みのさんの山あり谷ありだった芸能人生についてお話を伺っています。

 

 みのさんは1967年に文化放送にアナウンサーとして入社。会社は違いましたが、アナウンサーの久米宏さんと同期になります。

 

 

「久米君は俺より背は高いし、しゃべりはうまいし。あいつだけTBSに受かっちゃったんだよ。俺は全然ダメで(笑)。そこから彼は大活躍だもんな。

 

 久米君のラジオをよく聞いてて『なんでこんなにウケんのかな?』と思って。やっぱりマネから始まるからね。人気もすごいし、なにより彼はテレビがあったから」

 

 その後、久米さんはラジオに加え、伝説の歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)など数多くのテレビ番組を担当する人気司会者へと登りつめていきました。

 

「そのころ俺はアナウンサーをやめて、親父の水道会社でライトバンを運転して全国を走り回っていたの。ビジネスホテルで100円玉入れてテレビを見てたらさ、久米君が黒柳徹子さんと頑張ってんだよ。『あぁ、俺もあの世界にいたんだな』と思って」

 

 みのさんが、芸能の仕事から一時期遠ざかっていたというのは驚きです。

 

「文化放送を退社してからまったく(芸能の仕事を)やってなかったね。空白だよ。それでしばらくしてから土日だけ『プロ野球ニュース』(フジテレビ系)の話がきて」

 

『プロ野球ニュース』内の『珍プレー・好プレー』のナレーションが評判を呼び、徐々にテレビの仕事が増えていき、『午後は○○おもいっきりテレビ』の大ヒットにつながりました。なかでも生放送で、みのさんが視聴者の奥様方の相談にのるコーナー『おもいっきり生電話』の人気に火がつきます。

 

「『お嬢さん』とか言いながらね。あるとき『今日のお話は何ですか?』って聞いても、奥さんが黙ってるのよ。だから僕が『7秒黙ってると放送事故になっちゃうんですよ』って言ったの。

 

 そしたら、ようやく話しだして『あの~。お友達のお爺さんが……』『お友達のお爺さんがどうしました?』『ときどき……』『ときどきなんですか?』『遊びに……』『遊びにきてなにかあったんですか?』『ええ』『何があったんですか?』『私をなめるんです』。

 

 これはね、ぶっ飛んだね。スタジオにいた人みんな『ギャー!』って言ってたから。これがお昼の放送で大爆発(笑)。いちばん当たって、視聴率も上がったね。裏番組の『笑っていいとも!』(フジテレビ系)に大差をつけられていたのが、そのへんから並び始めたの」

 

 今では情報番組で欠かせない『フリップのめくり』を始めたのは『午後は○○おもいっきりテレビ』だといいます。

 

「これは特許もんです。それを『朝ズバッ!』でも取り入れて。打ち合わせをやれずに本番が始まったときに、フリップがあると『国会では昨日……(紙をめくる動き)こんなことがあったんです(笑)』。これなら内容を把握してなくても大丈夫だし、カンペを出されるより、このほうがいいよ、遊べるし。

 

 たとえば、めくる前に『これは朝の番組ではまずいよ』とか言って、めくったら運賃がどうとかで『全然大したことじゃない!』みたいな」

 

 みのさんと言えば、豪快なお酒の飲み方でも有名。1日に1000万円使うことも。

 

「スタッフに『キャバレーに行ったことないから連れていってください』って言われて。僕はね、みんな一緒じゃないといやなの。そうなると40〜50人になるじゃない。

 

 テレビ局が40〜50人乗れるバスを出してくれるのよ。バスのフロントガラスには『TBS報道局』とか書いてるの。それがさ、赤羽のキャバレーの玄関の前に停まってるわけ。『なんの取材ですか?』って聞かれて(笑)。

 

 それでキャバレーに行って、どんちゃん騒ぎして。それから『もう一軒行こうか』って銀座のクラブに行って。お代はもちろん僕が全部出しますよ。だってたくさんギャラをいただいてるんだもん、当たり前じゃない」

 

 みのさんは、2006年に「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」でギネス記録に認定された超多忙な時期にも飲みに行っていました。

 

「必ず行ってた。0時30分ぐらいまで。それから鎌倉の家に帰ってたね。車で往復3時間かかるから、その間に寝てた。あとは僕が出ない違うコーナーのときに、目をつぶってぐっすり寝られたらスッキリするのよ」

 

 番組共演者の方たちが「みのさんが本番中に寝てた」という話をよく耳にします。その真相を訪ねてみると。

 

「寝てたよ(笑)。気持ちいいんだよ。みんなの声が聞こえてるのって……よく寝たよ(笑)」

 

 仕事中に寝るなんて、本来、考えられないことです。しかし、みのさんだと不思議と笑い話になって許されるところが、周りに愛されていた証ではないでしょうか。

 

 57年という長きにわたる芸能人生、本当にお疲れさまでした。ゆっくり休まれてください。心よりご冥福をお祈りいたします。

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