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『坂本冬美のモゴモゴ紅白』 初出場の石川さゆりさんの目の奥には涙がにじんでいたような

石川さゆり、正坊地隆美日本コロムビア社長(1977年11月当時)
『坂本冬美のモゴモゴモゴ』という、なんだかわかったような、わからないようなタイトルで連載を始めさせていただいたのは、2021年3月のことでした。
約1年半のお勤めを終え、「ふぅ〜終わったあ〜」と、肩の力を抜いたのも束の間、次号から『坂本冬美のモゴモゴ交友録』がスタート。
足掛け4年の時をかけ、これまでご縁を結ばせていただいた方々とのエピソードを思い出すままに綴り終え……た……はずだったのですが……。
え〜〜っ、嘘でしょう!? 今週から新連載が始まる? というわけで、モゴモゴシリーズ第3弾。『坂本冬美のモゴモゴ紅白』のスタートです。
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昭和50年代、大晦日の夜は年越しそばを食べながら、『輝く! 日本レコード大賞』(TBS系)から『NHK紅白歌合戦』にチャンネルを替え、次々に登場するスターさんたちの熱唱を、家族みんなで楽しむーーというのが定番のスタイルでした。
「雪のように白いコだから」ということで、 “冬美” と名づけられたわたしも、記憶にはないのですが、幼いころから大晦日は家族と一緒に食い入るようにテレビの画面を見つめていた……はずです。
わたしがはっきりと覚えているのは10歳、小学5年生のときに観た『第28回紅白歌合戦』(1977年)です。この年の平均視聴率は77%でしたから、いかに国民的行事だったかがわかりますよね。
“この人を観るまでは、絶対に起きているぞ!” と、目をギラギラさせながら見つめていたのは、この年、初出場の石川さゆりさんです。
1月1日、元日にリリースされた『津軽海峡・冬景色』を聴き、あっという間に虜になったわたしは、寝ても覚めてもさゆりさんひと筋。部屋は、ブロマイドや雑誌の切り抜きで溢れていました。
さゆりさんの出番は、出場48組中37番め。この年、『勝手にしやがれ』で、日本レコード大賞に輝いた沢田研二さんの後です。
当時は「まだかな、まだかな」とジリジリしながら待っていた記憶しかありませんが、今思うと、初出場で37番めというのはすごいことです。ちなみにですが、わたしが初めて出させていただいた1988年は、42組中11番めでした。
時計の針は22時30分をまわり、ふだんならとっくに寝ている時間です。
眠い……。でも、ここで眠るわけにはいきません。そこからさらに時間が進み、いよいよ、さゆりさんの出番です。
ーー待ってました!
快哉(かいさい)を叫びながら見つめた視線の先には、真っ白なドレスに身を包んださゆりさん。
いつもより大きく腕を振り、全身を使って歌っていたのは、憧れの舞台に辿り着いたという昂(たかぶ)りのせいなのか……。
さゆりさんご本人に伺ったことはないので真相はわかりませんが、テレビの前のわたしは息をするのも忘れ、ただじっとさゆりさんを見つめていました。
目に涙がにじんでいるように見えるけど、でも泣かない。ひとつひとつ、想いを噛み締めながら熱唱するさゆりさんは、今でいう、わたしの “推し” です。
ーーいつか、わたしも歌手になりたい……。
『NHK紅白歌合戦』のステージに立つのが、どれほど大変なのか。どれだけすごいことなのか。1mmもわかっていなかったわたしは、出場歌手の皆さんがステージに勢揃いしたエンディングでも、ただひたすらさゆりさんだけを見つめていました。
さかもとふゆみ
1967 年3月30日生まれ 和歌山県出身『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、最新アルバム『浪花魂』が好評発売中!
写真・中村 功
取材&文・工藤 晋