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「日給は3300円ほどでした」1970年の大阪万博「エスコートガイド」が振り返る思い出「会場には“迷い大人”が多くて(笑)」

2025年4月13日に開幕した大阪万博
現在開催中の「EXPO25 大阪・関西万博」。そこで来場者を案内するのが、万博名物の各国のコンパニオンたちだ。
1970年に大阪で開催された「日本万国博覧会」には6400万人以上が来場したが、その来場者を約400人のコンパニオンが案内した。
「世界がひとつになった万博で、私は本当にいい経験をさせていただきました」
そう語るのは、1970年の万博で、各国の要人に通訳をしながら会場を案内する「エスコートガイド」として働いた渡辺百合さん(79)だ。
「万博が始まる2年ほど前のことでした。日本万国博覧会協会の方から『海外の方も多くお見えになるので、ガイドをする係が必要。しかも、すぐに対応できることが条件』ということで、大学4年生でフランス語を専攻していた私にも依頼がございました」(渡辺さん・以下同)
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試験を受けて合格した渡辺さんは、万博PRのために1カ月間、東南アジア各国を訪れた。
「神戸からソ連(当時)の船に乗り、カンボジアに着きました。そこからタイ、シンガポール、マレーシア、香港へ。1ドル360円の時代でした(笑)。
帰国後にカンボジアが参加表明してくださったので、ものすごくうれしかった思い出があります」
エスコートガイドとして採用された女性は55名だったが、閉幕まで務めたのは39名だったという。
「開幕まで2年間という時間がありましから、結婚や出産をする方もいらっしゃったんです。お給料ですか? 担当により違っていたと思いますが、日給で3300円ほどでした。
各国のお客さまを時間どおりにご案内するのはもちろんですが、いろいろなパビリオンにご案内しますから、それぞれの(パビリオンの)知識を身につけていないといけないので、たいへんでした。
会場内は迷子だけでなく、『迷い大人』も多かったですね。団体のお客さまは、旗を持ったガイドさんが同行するのですが、その旗を見失い、はぐれてしまう大人の方が、それはそれは多くて。『私はどこから来たのか? どこへいけばいいのか?』といった感じでした(苦笑)」
今回の大阪・関西万博にも、3月29日の「日本政府館開館式」のほか、正式開会後も3回、足を運んでいるという。
「工事の遅れなども指摘されて心配していましたが、やはり万博はすばらしいです。なかでも『大屋根リング』には感動しました。あれだけ多くの木を集め、そしてギネス世界記録にも認定されました。ぜひ、ご覧になっていただきたいです」
万博は時を超えて、人々を楽しませていくようだ。