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『プロレススーパースター列伝』作画担当・原田久仁信さん死去 梶原一騎氏の「アントニオ猪木(談)」は「少なくとも描くときには信じることに」

5月7日に亡くなった原田久仁信さん(写真・株式会社文藝春秋より)
1980年から1983年にかけて「週刊少年サンデー」で連載された、故・梶原一騎氏原作のプロレス漫画『プロレススーパースター列伝』で、作画を担当した漫画家の原田久仁信(くにちか)さんが、5月7日、心筋梗塞で亡くなっていたことがわかった。遺作となった著書『「プロレススーパースター列伝」秘録』を刊行した文藝春秋が、5月17日に訃報を発表し、当時、熱心な愛読者だった大人たちが悲しみに暮れている。
『プロレススーパースター列伝』について、漫画雑誌編集者が振り返る。
「1981年4月、新日本プロレスでデビューした初代タイガーマスクの人気もあって、当時、新日本プロレスのテレビ中継『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)は、たびたび視聴率20%超えを記録する人気番組となっていました。アントニオ猪木率いる新日本プロレス、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスが並び立ち、プロレスそのものが爆発的なブームとなっていたんです。
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そんな時期と重なって『週刊少年サンデー』で連載されていた『プロレススーパースター列伝』は、『あしたのジョー』や『巨人の星』で知られる漫画原作者・梶原一騎氏が、当時無名の新人漫画家に過ぎなかった原田久仁信さんを作画担当に迎えてスタートした作品でした。
タイガーマスクやスタン・ハンセン、ハルク・ホーガンなど、人気選手の特徴をみごとにとらえた原田さんの作画と、ファンタジーを多分にはらんだ梶原氏の大胆な原作によって生み出されたこの漫画は、プロレスファンの少年たちを夢中にさせました。当時の『サンデー』は、あだち充先生の『タッチ』、高橋留美子先生の『うる星やつら』が不動の2トップでしたが、『プロレススーパースター列伝』は、読者投票でその2作に次ぐ3位を記録することもあったほどです」
同作で、ファンにいまも語り継がれるほど有名なのが、試合や選手のエピソードを語るときに用いられる「アントニオ猪木(談)」という表現だ。これは、そのほとんどが梶原氏の創作であったことが、のちに明らかになっているが、原田さん自身も連載時は、その内容について、ときに半信半疑で描いていたという。
「たとえば、著書『「プロレススーパースター列伝」秘録』で原田さんは、本編のザ・グレート・カブキの章で描かれた、カブキが『指の第1関節だけを曲げてみせる』パフォーマンスについて回想しています。当時は猪木さんの言葉として、
《まさに直角90度に指のツメの第1関節だけが曲り、第2関節から下はまっすぐピンとのばす芸当は、よほどカラテ、拳法の修行をつまぬと不可能! 現在、ザ・グレート・カブキに全米のレスラーがおびえるのも、格闘家だけに、そのことをしっているからで……。自慢ではないが……日本人レスラーでも、これのできるのはカブキ、タイガーマスク、わたしの3人のみ! アントニオ猪木(談)》
と書かれた原稿を、梶原氏から受け取ったそうです。原稿を受け取った原田さんは『へえ、猪木はできるのか』と思いながら、試しに自分でもやってみたところ、あっさり“第1関節曲げ”ができてしまったそうですが、原田さんは、そのことを誰にも言わずにネームを進めたそうです」(同前)
SNSが発達した現代社会では、すぐに大騒動になりそうな、嘘と現実がまじり合ったファンタジー。だが、これが独特な魅力を生んでいた。
「大人は“読み物”として楽しんでいた一方、当時の少年ファンたちは、作品に描かれるエピソードをすべて本当だと信じて読んでいましたよ。原田さん本人も、大人になってから『信じていたんです』と言葉をかけてくるファンに対し、いつも『あなただけじゃない。僕もですよ』と答えていたことを明かしていますからね。
原田さん自身、これは疑わしい、と思うことはあっても、自分自身が信じなければ、読者も信じてくれないとの思いから『少なくとも描くときには信じることにしていた』と告白しています。そんなふうに、梶原氏、原田さん、読者が、それぞれ真剣に“ファンタジー”と向き合った作品だったからこそ、いまも語り継がれる作品になったのではないでしょうか」(同前)
プロレスラーやプロレスファンが次々と原田さんの訃報に悲しみの声をあげるなか、浅草キッドの玉袋筋太郎も5月17日、Xを更新。
《ガキの頃に手に入れ熱中し、成人して熱中してきた人生の中、転居やら何やらで手放してしまう作品が数多あったが『プロレススーパースター列伝』『男の星座』(編集部注・ともに原田さんの作画で、後者は梶原氏の自伝的漫画)は決して手放さなかった。ありがとうございました》
と、原田さんを追悼した。当時、同作に熱中したすべての少年ファンたちが、原田さんへの追悼を込めて『列伝』で描かれたエピソードを語り合っているに違いない。