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MISIAが明かしたデビューのきっかけは「1枚のビラ」娘に負けぬ“パワフル”母は71歳で大学院に進んだ医師

MISIA
5月26日放送の『しゃべくり007』(日本テレビ系)のゲストは、歌手のMISIA。幼少期から歌手になるために奮闘していたエピソードを、実の母や幼なじみなどが語る内容だった。
「めったに地上波に出ない彼女の生い立ちトークとあって、貴重でした。東京五輪の開会式で『君が代』を斉唱したり、『NHK紅白歌合戦』のトリを飾ったりと、いまや“国民的歌手”ですが、ふだんの生活が見えない、謎めいた一面もありました」(芸能記者)
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母である伊藤瑞子さんによると、小学校3、4年生のころから、歌手になるのが夢だったというMISIAは、地元の合唱団に所属し、歌声を磨いていた。「売れないと困るから」と、そのころからお年玉を貯めていたと明かした。
デビューのきっかけになったのは、街に貼られていたビラだったという。中学3年生からさまざまなオーディションに挑戦していたが、なかなか受からずに落ち込んでいた時期、父親が「電信柱か、駅の壁」に貼ってあったオーディションのビラを持って帰ってきたという。MISIAは怪しいと思ったそうだが、母が「お父さんが持ってきてくれたから」と勧めたため、このオーディションを受けた。これがデビューのきっかけとなったという。
「MISIAの母である瑞子さんは、地元の名士なんです。長崎大学医学部卒の医師で、1984年からMISIAを育てた対馬の病院に勤務し、1996年には自らのクリニックを開業しています。2017年には、71歳で大学院に進学して『育児の共有』をテーマに論文も書いています」(同前)
夫も医師であり、長男も医師、長女は歯科医師という家族全員が医療関係という環境のなかで、次女のMISIAだけが歌手となった。次女の夢を、母は応援していたという。
2024年10月、「CHANTOウェブ」に掲載されたインタビューで、瑞子さんは「(MISIA)本人は歌手になりたいという夢をかなえるために一生懸命でした」と振り返っている。「小学2年生のころに地元の合唱団の定期演奏会に行き、その次の練習日にひとりで『入団したい』と申し込みに行った」と、MISIAの行動力を語り、「やりたいことを見つける前に、勉強、勉強と言って押しつぶさなくて良かったと思いました」と、娘が“本当に好きなこと”を見つけられたことを喜んでいる。
「現在は、小児科医として最前線で働きつつ、勤務する病院に病児保育つきの保育所を作り、3人の子を育てながら働いた経験を“社会での子育て共有”として講演活動もしているようです。MISIAの歌声と同様、ご家族もパワフルです」(同前)
ビラのオーディションと出合わなければ、MISIAという歌手は存在しなかったのかもしれない。