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荻野目洋子、西田ひかるらも続々追悼…著名人らの「ミスター秘話」で浮かび上がる長嶋茂雄氏の“天然ぶり”と“ファンサービス”

2009年、パーティに参加した長嶋茂雄さん
「太陽のような人」「天真爛漫」、そんな形容詞とともに、国民中から愛された“ミスタープロ野球”長嶋茂雄氏の訃報に、日本中が悲しみに包まれるなか、著名人たちも、在りし日の長嶋氏との思い出とともに、長嶋氏に続々と追悼メッセージを寄せている。
6月3日、肺炎により、都内の病院で午前6時39分に死去したという長嶋氏。6月3日放送の『news every.』(日本テレビ系)に出演した徳光和夫氏は、「身内の方にお電話でうかがいましたら、大変安らかに、苦しむこともなく永眠をされたという話でございました」と明かしている。
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千葉県佐倉市の名誉市民でもある長嶋氏と同じ佐倉市出身で、歌手の荻野目洋子は、同日にXを更新。長嶋氏とのツーショットとともに、
《この度の訃報に触れ、8年前の6月4日、千葉県佐倉市出身者として、長嶋さんにお会い出来た時の笑顔を昨日の事のように思い出しながら、心よりお悔やみを申し上げたいと思います…。》
と投稿した。また、千葉県佐倉市にある「長嶋茂雄記念岩名球場」の改修記念式典で長嶋氏と会ったという荻野目は、
《私は僭越ながら、ライブグッズの青い扇子をプレゼントさせて頂き、長嶋さんは野球ボールに快くサインしてくださいました。偶然にも青いジャケットとピッタリで、すぐに開いて使用してくださった事も大変嬉しかったです。日本中に与えてくれる勇気の源は、こうした優しさなのだと感じました》
と、思い出をつづった。
Instagramで《私は東京ドームができた1988年にデビューした事も縁あって、デビュー当時からGiantsの仕事をたくさんさせていただきました》と語ったのは、歌手でタレントの西田ひかるだ。
《バラエティなど野球とはちがう現場でも長嶋さんとご一緒させていただく機会が多かった》
という西田は、1993年の天皇陛下と雅子妃殿下のご成婚の記念行事で、長嶋氏と一緒になった際の話を披露。おごそかな雰囲気のなか、着物を着ていた西田の耳元で、長嶋氏が『素敵なおべべですねー』と語りかけてくれたことが忘れられないと振り返った。
また、歌手の小柳ルミ子は、公式ブログで「お正月特番」で長嶋氏と共演した際の話を披露。長嶋氏&小柳ペア、ビートたけし&そのまんま東ペアでゴルフ対決をしたときのこと。
《最終18ホール迄も連れ込んだのですが 18ホールのグリーン上で 『ルミ子ちゃん これ入れるから僕達が優勝だよ』 そう仰って20m近いロングパットを本当にお入れになったのです》
と明かし、
《私 驚きました 興奮しました 長嶋茂雄さんのスターたる所以を この目でしっかりと感じさせて頂いた瞬間でした》
と、長嶋氏の持って生まれた強運ぶりを回顧した。
3日放送の『DayDay.』に出演したタレントのヒロミは、ハワイのゴルフ場で長嶋さんとバッタリ遭遇し、お互いグリーンの上なのに、長嶋氏に「ゴルフですか?」と聞かれて、戸惑いながらも「ゴルフです」と返したという、ミスターの“天然ぶり”がわかる逸話を披露。
さらに、ロックバンド『HOUND DOG』のボーカル大友康平は、長嶋氏の訃報に公式ブログを更新。1度だけ長嶋氏と対談をして、“ロックンローラー”と認識してもらったという大友が、その後、球場に取材に行くと、「お〜〜来たか“ロカビリアン”」と声をかけられたことを明かし、《いかにもミスターらしいエピソードで俺にとっては宝物伝説です》と、長嶋氏との思い出をつづった。
長嶋氏が分け隔てなく接していたのは、芸能人に限った話ではないようだ。自身の公式ブログで長嶋氏との思い出を明かした俳優の黒沢年雄は、
《忘れられないのは、パーティーでファンに写真やサインを求められても一人残らずしてあげる、ファンの態度に呆れていると“パーティーももうすぐ終わりますからねガマンしましょうね”…世の中にこんなに心の広い方が存在することに驚きました…》
と、長嶋氏のファンサービスに驚いたことを回顧。
《まだまだ感動する逸話がありますが…ある意味神様のような方でした》
と、その人柄を振り返った。
各々が語るエピソードは、どれもこれも“ミスター”の人柄を思わせる話ばかりで、長嶋氏が愛されてきた理由がよくわかるというもの。“不滅の笑顔”は、これからも人々の心に生き続けていくに違いない。