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陸軍のスパイだった「さだまさしの祖父」知られざる諜報活動
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.08.29 20:00 最終更新日:2018.08.29 20:00
歌手のさだまさしが、8月20日放送の『ファミリーヒストリー』(NHK)に出演し、祖父について語った。
さだは生まれる前にすでに亡くなっていた祖父・繁治について、祖母からスパイだったと聞かされていたらしく、番組冒頭で「父の父がどうやらスパイらしいなんて、なんかロマンチックじゃないですか。そこにひかれますね。いったい何をしていたのか非常に興味があります」と語る。
1873年生まれの繁治。20歳になると徴兵され陸軍に入隊。日清戦争へ出征し、2年後には除隊した。番組スタッフが調査したところ、26歳のときに日本の植民地であった台湾へ渡り現地の警察官になったことが判明した。
どういう経緯があったのか不明だが、次に繁治の名前が登場するのは外務省の外交資料だ。大正時代の中国・新疆ウイグル自治区の情勢についてまとめた文書に「日本人佐田繁治アリ、国際探偵ナリ」と記されている。
身分は三井物産の調査員となっているが、番組が同社に確認したところ、過去の記録に繁治の記録はなかった。代わりに存在を確認できたのが、旧陸軍の秘密文書で「諜報機関配置ノ報告」と書かれたページに、「新疆ウルムチ 佐田繁治 軍人下士ニシテ諜報ニ服ス」と記録されていた。
繁治はいったいどんな任務についていたのだろうか?
戦史研究家の原剛氏は「(ロシアの)赤軍勢力がだんだん盛り上がってきて、中国を経て日本の方まで入ってくるんじゃないかという恐れがあった。情報をいち早くつかむために辺境まで派遣されていたということ」と説明する。
番組では、当時、一緒に任務についたとされる田島栄次郎大尉の孫・雄次郎さんを訪ねる。保管されていた写真には、新疆自治区のゴビ砂漠を4カ月かけて横断する繁治の姿があった。
その後、繁治は日本軍のシベリア出兵にともないウラジオストクへ赴任し、敵対勢力の情報収集にあたった。新聞社の通信員と身分を偽っていたという。
あるとき、身分がバレそうになり追っ手から逃げた繁治。日本人街の女主人が経営する小料理店に逃げ込み、「その人なら出て行きましたよ」という彼女の機転によりことなきを得る。
これこそが、さだの祖母・エムさんとの出会いであった。ほどなくして2人は結婚。1年後にはさだの父・雅人さんが誕生している。その後、日本軍の撤退にともない樺太へ移動した佐田一家。わずか3年後に繁治は53歳の若さで亡くなっている。
映像を見たさだは「本当にスパイだったんですね」と驚きを隠せない。さらに「僕の祖母が出てきましたね。そこへ逃げ込んできたわけでしょう? ちょっと読みたいですね、この小説」と感想を漏らしていた。
繁治の一生は、映画のようなドラマチックすぎる人生だったようだ。