「最初に白鵬関に勝った時、記憶がないんですよ」
平成27年の九月場所のことである。
「あの秋場所は、三日目からずっと記憶がない。徹夜で仕事した後みたいで、何か熱っぽくて、ぼうっとする感じです。そして土俵に上がると、ふっと眠くなるんですよ。どう戦うかとか色々頭の中にあっても、もう眠くて何も考えられなくなる。そうして、そのまま戦いに入っていくんです。ゾーンっていうんですか、そういう状態だったんでしょうね。
結局二横綱、二大関に勝って、十一勝。三賞も二つ貰いました。横綱や大関に勝った時は、会場中が盛り上がっているのがどこか冷静に見えるんです。拍手が鳴って、歓声が響いて、凄く気持ちいい。あれはやみつきになります」
完全な集中状態だったのだろう。
「あそこまで完璧には、なかなかできないですけれど。コントロールして、近い状態に持って行こうとしてます。メンタルトレーニングとかもしてますよ。トレーニングという言葉を出すと勘違いされがちですけれど、メンタルって鍛えようがないんですね。でも分析して、対策を立てることはできるので」
「じゃあ、稽古とかもかなり実戦に向けて、厳しく……」
「いやあ、そうでもありません。僕が去年何回、稽古したと思います?」
「え? ええと……」
「10日です。365日のうち10日」
全然してない。
わはは、と笑いながら嘉風関は続けた。
「教えてる時間の方が多いかもしれません。基礎ばかりやって応用がない稽古をやっても無駄だと思ってるんで。でも、僕は稽古をやらされたことはないですよ。自分でやると決めてやるし、やる時は全力でやります。まあ、それでも幕の内にいられるんですよ」
なるほど。
やる、やらないは自分で決めることなのだ。高校でも、大学でも、そして今も、嘉風関は己の美学を貫いてきた。相撲のためではなく、自分のために。
「やっぱり、僕にとって相撲は趣味なんですよ。趣味だからやってられる」
嘉風関はぽろりと漏らした。
「昔と違って、解説者の話とか周りの目も、あまり気にならなくなりました。やってるのはオレだし」
これは、そう簡単なことではないと思う。
誰かのため、お金のためであれば、自分の気持ちに蓋ができる。嫌な上司に頭を下げ、とりあえず会社に行くことができる。
しかし自分のためとなると、これは難しい。自分に噓をつくことはできないから、どこまで逃げても自分はついてくるから。自分と向き合い、正面から受け入れなくてはならない。全てをのみ込む大きな器がないと、大相撲は趣味にできないだろう。だから嘉風関の相撲は真っ直ぐで、ひたむきで、全力なのかもしれない。それが人の心を打つ。