芸人の渡辺正行と爆笑問題の太田光が、8月28日放送の「太田上田」(日本テレビ系)に出演した。結成30周年を迎える爆笑問題。結成当初に出演したのが、渡辺が主催したラ・ママ新人コント大会だったという。
渡辺は当時の爆笑問題について「漫才じゃなくコントなの。最初にネタ見せをやって、本番があるでしょ? 本番のときに事務所にスカウトされていた。いろんなプロダクションから」と振り返る。
【関連記事:バナナマン設楽も…「渡辺正行」運転手に恵まれず】
ここで太田が「コーラスライン(方式)だから、5人手が挙がったらダメで(ネタが終わる)。掴みからガーンと受けて、15分みっちりやった」と成果を説明すると、渡辺は「やっぱりプロダクションの人が見ても、『こいつらはいける!』というものがあったんだと思う」と述べた。
30歳でコントライブの主催を始めたという渡辺。「『コントを教えてください』って言われて、自分は教えられるような人間じゃないから、そういう(発表する)場を作って自分たちのネタをやればいいと人を集めた」ときっかけを語る。ちなみにこのコントライブは30年以上も続いているそう。
続いて渡辺は、爆笑問題の過去の転機について明かす。
「ずっとコントをやっていて、漫才に変えた時期があった。だいたいスタイルを変えたりすると失敗することが多い。まして漫才は話術があって蓄積されてやるものだから難しい。
それなのに(彼らは)ポンっと変えて、そのときのネタがびっくりするぐらい面白かった。しかも受け方が半端じゃない。いままでやったなかで一番ぐらい。この瞬間に立ち会えたことが(嬉しかった)」
デビュー直後から人気に火がついた爆笑問題だが、1990年に事務所を辞めたことで、テレビやライブの出演ができなくなってしまう。
太田は当時を振り返り、「停滞期に唯一出してくれたのがラ・ママなんですよ。『うちは事務所とか関係ないから』って。リーダーの、それがありがたかった」と感謝する。
これに対し渡辺は「(ライブを)やれる場所がない。とにかく人前でやっておいたほうがいい。そのとき(爆笑)は差別ネタとか下ネタをガンガンやってた。受ける感覚を忘れるとわかんなくなっちゃうから、どんな感じでもいいからやり続けろと(言った)」と明かしていた。
いまや日本を代表するお笑いコンビとなった爆笑問題。若手時代の彼らの窮地を救っていたのが、渡辺のライブだったようだ。