昭和と平成の芸能界を駆け抜けた、歌手の森山良子。同世代の大物歌手との親交も深い。知られざる森山の「武勇伝」について、直撃取材を敢行した!
その武勇伝とは、こういうものだ。
「吉田拓郎と泉谷しげるが若いころ取っ組み合いの大喧嘩をしたとき、森山が間に入って制止。その後、かなり強く叱られた泉谷が、今でも『(森山良子が)世界で一番怖い』と恐れている」
——この話は本当なんですか?
「いやん、もう〜。……本当なんだけど(笑)。
ただ他人には言ってはいけない仲間内のことだから、私はずっと黙ってたんです。でもいつの間にか、その話が一人歩きするようになっていって、それで泉谷が私を『一番恐ろしい女だ』っていう話になってるんです。
ムッシュ(かまやつ)の還暦のお誕生日での出来事だったんですよね。だからもう20年近く前の話かな。
お互いに酔っ払って、言い争いから取っ組み合いになって、泉谷の拳が上がったところで、私がこう、間に割って入って、『あんたたち、やるんだったら、外でやりなさいよ』って言ったんです。だってそこはレストランで、他の人たちもいっぱいいたんですよ」
——怖くなかったんですか?
「全然怖くない。だって2人とも根がすごくいいやつだから。『やめなさいやめなさい』って言っても意味ないし、そう言うしかないじゃないですか。だって、やりたいんだから」
——やりたいんだから(笑)。
「さすがにそのときは言いませんでしたけど、なんなら厨房に行ったらいろんなものもあるしね(笑)。私は男たちがいい年して喧嘩するっていう、あの世代の文化はすっごい好きなんですよ。あのとき、スマホでもあれば撮っておけばよかった(笑)」
——肝が座っているんですね。
「私、昔からなんだか平気っぽいんです。昔はコンサートとかしてると、興行関係の怖い人たちが『誰に断ってやってんだあ?』って来るんですよね。それに対して『いえいえいえ、誰にも断ってませんよ』って言うと、『ちぇっ!』とか言っていなくなるんですよ。
あと、危ない人のベンツが通ったときにふと『あ〜、ベンちゃんが通ってる〜』って言ったら、『俺の車のこと、ベンちゃんって言いやがって!』って怒鳴られたんですね。
だから、『あら、私ジャガーに乗ってて、ジャガ子ちゃんって言ってますけど何か?』って返したら、これも『む、むむう〜』っていなくなっちゃった。そういう危ない人とも普通にしゃべれるんです」
——な、なるほど。
「だっていわれのないこと言われても、こっちにはこっちの生き方があるから。昔っから、会社の社長とかが偉そうにしてるとすっごいムカついてきて、みんなが敬語を使ってるなかで、『絶対に敬語使わない』って思ったりね。
もともと上下関係を強調してくる人たちが好きじゃないんですよ。こっちはこっちの価値観があるから、みたいな。
ミュージシャン仲間たちからよく『パンク精神の塊だ』って言われます。半分男ですから……いやほとんどかな(笑)」
もりやまりょうこ
1948年1月18日生まれ 東京都出身 歌手。1967年『この広い野原いっぱい』でデビュー。その後、『涙そうそう』『さとうきび畑』など数々のヒット曲を生み出す。2008年に「紫綬褒章」受章。2016年にデビュー50周年を迎え、1年間で100本を超えるコンサートを行った。女優、声優、ラジオDJとしても活動
※1月2日に日本武道館でライブイベント『清水ミチコ・森山良子 初夢フェス in武道館 〜ライブでアラモード〜』を開催
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