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初舞台で「ちょろ!」と思った「ニューヨーク」今はチョロチョロ
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.04.04 11:00 最終更新日:2019.04.04 11:09
ボケの嶋佐和也(32)とツッコミ屋敷裕政(33)のコンビ「ニューヨーク」は、今年で結成10年目をむかえる。
結成5年目にしてコントの日本一を決める大会『キングオブコント』(TBS系)で準決勝に進出し、『THE MANZAI』(フジテレビ系)では認定漫才師(準決勝相当)になった実力者。
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そのネタのクオリティの高さから、ネクストブレーク芸人として常に名前があがるようになった。そんな彼らに元芸人のインタビューマン山下が10年間の芸人人生を振り返ってもらった。
――初舞台はいつですか?
屋敷 初舞台は僕らがNSC(よしもとの養成所)を3月に卒業してすぐの、ゴールデンウイークのルミネtheよしもとの舞台でした。同期のみんなは、だいたい100席ぐらいの小さな劇場なんですけど、僕らは450席が満席で立ち見もパンパンの状態でした。
そのとき初舞台だったのに、劇場の外に出たら、僕らの出待ちのファンが100人ぐらいいました。
嶋佐 1回漫才しただけなのに「ちょろ!」と思いました(笑)。
屋敷 「芸人ってすぐに人気者になれるやん」と思いましたね。それがピークですよ。
――いや、ピーク早すぎるでしょ(笑)。初めてのテレビ出演は?
屋敷 デビュー2年目でテレビ出演させてもらったんですけど、その番組が放送されたら、街中で指さされると思ったんですよ(笑)。だから放送後の漫画喫茶のバイトもコソコソしないと行けなくて、働きづらくなると思っていましたが、全然でした。ツイッターのフォロワーも5人ぐらい増えて3人ぐらい減るみたいな。こんなことで世界は変わらんなということがわかりましたね。
嶋佐 僕は中学、高校でテレビを見ていたときは、テレビに出たらお金持ちになれると思っていたので、1回出たら10万、20万円もらえると思っていたんですよ。給料明細を見たら1万円って書いてあったので、「テレビって、これだけしかもらえないの?テレビって1万円なの?」と思いましたね(笑)。
――そこで芸能界の難しさを知ったんですね。しかしそれから4年目で『バチバチエレキテる』(フジテレビ)という有望な若手芸人が集まったレギュラー番組が始まりました。
嶋佐 レギュラーメンバーも、この番組があるから売れたって思う人は誰もいなかったですね。意外とみんな冷静でした。「この先どうなって行くんだろう」と思っていたら、半年で終わって「早!」とは思いましたね。
屋敷 その番組は青春みたいな感じで楽しかったですけど、半年間の短い青春でした(笑)。
――そこからあっと言う間に今年で結成10年ですもんね。
屋敷 そうなんですよ。だから今、漫才のつかみネタで「僕らのことを知ってる人は拍手してください」って言うたら、拍手がチョロチョロチョロな感じで。
「じゃあ知らない人?」でバァーっと拍手があって、「ちょうど半々ぐらいですね」「どこがやねん!」というネタを10年目でやってるんですけど……。10年目で、こんなネタやりたくないです。なんか悲しくなってくるんですよ(笑)。だから一回売れときたいです。
※ニューヨーク単独ライブ「ありがとう」は4月19日、20日、21日にCBGKシブゲキ!!で開催。21日(日)13:00からの追加公演チケット発売中