――振り返られて、一番印象に残っていることはなんでしょうか?
めだか 寛平ちゃんが東京に行くちょっと前ぐらいかな。それまでは「チケットなんとかしてや。取られへん」って言われるぐらいお客さんが入ってたんが、どんどん減ってきたんよ。3回公演でも、3回目は新喜劇だけないねん。
それに、トリのやすし・きよしさんが終わりました、笑福亭仁鶴さんが終わりましたいうたら、客がすぅーと帰るのが見える。新喜劇がはじまるとだいぶお客が減ってて、芝居の途中で暗転になったら、またお客が帰ってく。
次に明かりがついたら、もう3分の1ぐらいしかおれへんとか。そうなってきて「新喜劇やめよッカナ?」(※3)というキャンペーンがはじまったんよ。
寛平 NGKができたときは、「新喜劇を出すな」言うて1年間出してもらわれへんかったからね。
めだか ようやく再開しても「NGKコメディー」言うてやってたんよ。「新喜劇」とは言わせてもらえへんかった。「やめよッカナ?」のときは一番危機感あったね。
――そこから、新喜劇の内容も変わっていきましたか?
めだか 僕らが戦ってたころは、先輩がセリフをちょっと噛んだりしたら、もう笑えない。ド忘れしてはるなと思たら、それとなく「それはそうと、あいつはどこ行ったんでしょうね」とか言うてごまかす。
恥をかかしたらアカンから。忘れるということは恥や、噛むのは恥やと。ところが、いまはお客さんが変わってきたんです。昔やったら「マジメにやれ」とか「カネ払てるねんぞ」とか……。
寛平 お客さんが言いましたよ。
めだか でも、いまはお客さんが間違えるのを待ってたりする。だから、スジのおもしろさはどっちでもええみたいな。
寛平 僕もギャグやってたけど、たとえば寛平じいさんが杖を持ってバ ンバン叩くというのも、流れで暴れて出て行くんであって。いまはもうギャグは単品やもんね。
めだか 単なるパーツで、次はおまえのギャグの番やみたいな。そこにスジとかは関係ないからね。それでお客さんがよろこびはるから仕方がない。
たまに仲良くしてる後輩なんかとごはん行ったり、お酒飲んだりしたときに聞かれたら答えるようにしてますけど、上から「おまえやめとけ。間違うてるぞ」とかはできるだけ言わないようにしてる。たまに言うのは「楽することを覚えるな」と。
寛平 こっちから後輩には言わへんな。また、その若い子らの考えが正しいかもわからんと思てるし。時代の流れやと思ってるからね。
めだか だんだんと刹那的になってきてるね。おもしろかったらなんでもええねんと、お客さんもなってる。「芝居ヘタやぞ」とか、「持っていき方おかしいぞ」とかいう目で見てへんもん。コケてもええねん、パンツ見えてもええねん。おもしろかったらええねん。昔なら「何してんねん!」っていう空気やったけど、お客さんが変わった。
※3 「新喜劇やめよッカナ?」
1980年代初頭までは劇場の大きな呼び物だった吉本新喜劇だが、漫才ブームの到来で多くのスタータレントが誕生する一方、新喜劇は相対的に人気が下火になっていった