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池乃めだかと間寛平が考える「吉本新喜劇のこれから」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.05.10 16:00 最終更新日:2019.05.10 16:00
――では、現在の座長さんに何か注文はありますか?
寛平 ホンマにようがんばってると思いますよ。ブームを作って、お客さんもたくさん入ってもらえるようになったからね。やっぱり、吉本興業ってすごいなと思うんですよ。
めだか スポンサーみたいなものもなく、毎日満席の劇場って全国探してもないでしょ。商業演劇でも1カ月公演をやることが少なくなってるからね。そんなときに、毎日満員にする形を作ったのは、いまの座長をはじめ若い連中やと思うし。
いまはありがたいことに、2回興行やって、3回目は新喜劇だけとか。あるいは「あさあさ新喜劇」いうて、朝早くからやってお客さんが来はるからね。噛んだ言うてはツッコみ、セリフを忘れた言うては笑いをとり、それでもお客さんがおもしろいと言えばいいわけで。お客さんが求めるものが正解。
ただ、お客さんも5年経ったら5つトシをとるねんから考えも変わってきて「そんなことまだやってるの」みたいなことにならないよう祈るだけですね。お客さんの要望に合わせて、こっちも変えていく。3年、5年先を見てね。むずかしいことやけども。
寛平 でも、新喜劇ブームを作ったんはすごいですよ。いまの座長もがんばってるし、また次の新しい座長も作ろうとしてるもんね。
――吉本新喜劇をはじめて見る方に伝えたいことはありますか?
寛平 イヤなことがあっても、新喜劇を見たら忘れます。だから来てください。それに、どっから見てもわかるもん。途中から入ってきてもね、スジも全部読めるし(笑)。
めだか たとえば好きな歌手、そうでもない歌手といろいろありますやん。芝居でもマジメな芝居があったり、喜劇があったりする。僕も知り合いが出演してるとか、誰かに誘われたとかで、しぶしぶ観に行ったことが何回もあります。
でも行ってみて、来ないほうが良かったって思たことないんですよ。行ったら、なんでもすばらしいんですね。
たとえば、光GENJI。僕らが40代のころのアイドルやね。何をキャーキャーワーワー言うとるんやと思て、大阪城ホールに見に行ったんです。でもずーっと見てたら、カネかかっとるな、うちと違うなと(笑)。
寛平 それは言わんといて(笑)。
めだか 音楽ももちろんやけど、ローラースケートで滑ってるのを目のあたりにしたら、いろいろなことが加味されてて、なんかウルッとくるぐらい感動したんよ。そんなん、いっぱいある。
前置きが長くなったけど、百聞は一見にしかず。ダマされたと思うて、いっぺん新喜劇も見てちょうだいと言いたいですね。
はざま・かんぺい
1949年7月20日、高知県出身。1970年に吉本新喜劇の研究生となり、花紀京の付き人に。入団後わずか4年で座長に昇格し、木村進と一時代を築く。「アヘアヘ」や「アメマ!」といったギャグの宝庫で、1989年に退団後もタレントとして活躍。また芸人ランナーの先駆的存在で、2008年には、世界1周する「アースマラソン」も完走。
いけの・めだか
1943年7月3日、大阪府出身。1968年に漫才コンビ「海原かける・めぐる」を結成し、人気を博す。吉本興業へ移籍するも相方の廃業に伴い、「池乃めだか」と改名。1976年、吉本新喜劇に入団し、1990~95年は座長を務めた。低い身長ネタや、ひとり芝居風など、持ちギャグは多彩。いまも演技派として新喜劇には欠かせぬ存在。
(吉本新喜劇60周年公式スペシャルブック)