エンタメ・アイドル
布袋寅泰、BOOWY解散理由は「チャート1位で燃え尽きる時が来た」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.06.04 16:00 最終更新日:2019.06.04 16:00
布袋寅泰が6月1日放送の『嵐にしやがれ』(日本テレビ系)で、BOOWYの結成から解散までを語った。
布袋は群馬県高崎市出身で、父親について「すごい厳しい人。貿易の仕事をしていて、年の半分以上は外国にいた。部屋には、射撃をやってたのでライフルがあったり、葉巻があってジェームズ・ボンドみたい」と明かした。
【関連記事:布袋寅泰、「世界を目指す」という志のためロンドン移住】
父は厳しかったが母は優しく、ある日、母の財布から抜き取った1万円で初めてギターを買ったという。だが布袋は「抜き取ったんじゃなく、羽が生えて出てきた」と笑っていた。
16歳でバンドを結成。ライバルのバンドのボーカルに氷室京介がおり、「目がカッと鋭くて、近寄りがたい印象でしたね」と当時の印象を語った。
高校を3年の3学期に中退し、プロのギタリストを目指して上京した布袋。なかなかチャンスにめぐり合えなかったが、「一緒にやろう」と氷室が声をかけてきたという。
そうして結成したバンドの名前は「暴威」。当時所属していた事務所のプロデューサーが「君たちのバンド名を考えたよ。『群馬暴威』っていうのはいかが?」と提案してきた。
横浜銀蝿にあやかったバンド名で、布袋は「群馬暴威は勘弁してくださいよ」と頼み、「漢字もちょっと怖すぎる」と「BOOWY」となった。
活動わずか6年で伝説となり、1988年4月に東京ドームで最終公演『LAST GIGS』を行ったBOOWY。そのとき布袋は「最高のところまで力を合わせて一つになって、そうやってパーンと花火のように散ろうぜ」とメンバー同士で話し合っていたという。
解散理由は「チャートで1位になったんですよ。あっ、来たな。燃え尽きる時が近づいてきたなっていうのが、4人の中にあったと思いますね」と振り返った。
布袋は5月29日に行われた『Advertising Week Asia 2019』のトークショーでもBOOWYの解散について語っている。「東京ドームまで、短いですけど青春を駆け抜けた。ある種、あのころは『燃え尽きたい症候群』だった」と語り、『あしたのジョー』のラストのように「燃え尽きたかった」と明かしていた。
新作アルバム『GUITARHYTHM VI』では元BOOWYのベース・松井常松とドラムの高橋まことが参加した新曲『Thanks a Lot』も収録されている。「最新の布袋が最高の布袋」というスタンスで活躍してきた。盟友との31年ぶりの共演作は必聴だ。