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元「たま」知久寿焼、いま明かす「イカ天ブーム」大騒動

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.07.12 20:00 最終更新日:2019.07.12 20:00

元「たま」知久寿焼、いま明かす「イカ天ブーム」大騒動

 

 伝説の深夜オーディション番組『平成名物TV・三宅裕司のいかすバンド天国』(通称『イカ天』、TBS系)。当時の若者たちを熱狂させた超人気番組の裏側を、『14代目イカ天キング』に輝いた、元「たま」の知久寿焼が振り返る。

 

『イカ天』が放送されていたのは、1989年2月から、1990年12月末まで、わずか約2年間。その間に、「BEGIN」「JITTERIN'JINN」「BLANKEY JET CITY」をはじめ、28組のアマチュアバンドをメジャーに輩出し、「イカ天ブーム」と呼ばれるほどの人気を博した。

 

 

 そのなかで、デビュー曲の『さよなら人類』でいきなり60万枚の大ヒットを記録し、個性的なビジュアルと高い音楽性で社会現象を巻き起こしたのが、「たま」だ。

 

「朝まだ暗いうちに家を出て、帰ったら深夜3時という生活でした。だから制作なんかできない(笑)。バンドも6年めだったから、『ストックをきちんと録音する』という音楽活動をしていました。

 

 ぼくは高円寺に住んでいたんですけど、駅に着くとファンの人がついてきちゃうの。だから、『撒く道』を作っていました。知らない人のアパートを、シュルシュル通り抜けて帰っていました。そんなことが1年ぐらいは続いたかな。初体験だったから、意外と楽しかったけど(笑)」

 

「たま」は、バンド名の決め方からして規格外だった。

 

「『たま』を一緒にやる前に石川(浩司)さんが、ぼくも含め音楽仲間に声をかけて、変な名前の即席バンドで演奏するライブをやったんです。ぼくと石川さんと柳原(陽一郎)さんのは『かきあげ丼』、もうひとつは『ハンバーグ弁当』だったかな。

 

 1回やったら楽しくて、続けてみようかってなって。『じゃあ、ちゃんとしたバンド名決めよう』と、一晩3人で考えたけど全然決まらなくて、くたびれちゃった明け方、『ねこや、おばあさんの名前』ということで、『たま』になった(笑)」

 

『イカ天』初登場からずっと注目を集めていた「たま」のビジュアル面の一体感は、じつは偶然の産物だった。

 

「ぼくは、そのときどきに自分が好きなスタイルを、今日までずっとやってきています。石川さんのランニングシャツに短パンは、夏にツアーをしたときに、暑くなって全部脱いじゃうから、ツアー後に『ランニングでいいんじゃないの?』と話したのがきっかけ(笑)。

 

 でも当時、芦屋雁之助さんが演じた山下清さんがランニングに短パンで話題になっていたから、それも意識したと思います。メジャーデビューしてスタイリストさんがついた一時期以外は、本当にそれぞれが勝手にしていましたね」

 

 デビュー当初、マンドリンとおかっぱ頭がトレードマークだった知久。フォーカスのされ方から、知久がバンドの中心だと思っている人も多いだろう。しかし「たま」は、曲ごとに作詞作曲担当者がリードボーカルを務める、全員が “主役” のバンドだった。

 

「ぼくはそもそも受け身な性格で、自分から積極的にいかないんですよ。『たま』では、石川さんと柳原さんが、とにかく “カマす” 人たちで、漫才コンビみたいなものでした。

 

 2人が日常的に『阿吽の呼吸』でウソっぱちの冗談を言い合うんですけど、ぼくはお笑いにニブくて、それをすべて真に受ける。まあ、いまだにぼくは、シャレの通じない堅物なんですけど(笑)」

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