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三谷幸喜「家には人形劇の人形が100体以上もあった」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.09.07 20:00 最終更新日:2019.09.07 20:00
脚本家の三谷幸喜氏が、9月4日放送の『ごごナマ』(NHK総合)で生い立ちや仕事への思いを語った。
三谷氏は自身の父親が福岡の歓楽街・中州でクラブを数店経営しており、子供の頃は裕福な家庭だったという。家には人形劇の人形が100体以上あり、「一人っ子だったので一人遊びが好きで『GIジョー』の秘密基地を持ってました」とコメント。
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父は10歳の頃に亡くなるが、その年に母を元気づけるため、一緒にヨーロッパ旅行したという。
母もフィリピンパブを経営しており、高校の頃にはフィリピン人のダンサーと同居し、「僕が帰ってくるとトップレスの皆さんがうろうろされてるみたいな環境だった」と振り返った。
脚本家として大成し、NHKでは大河ドラマ『新選組!』『真田丸』の2作の脚本を執筆。今後執筆の可能性を聞かれると、「最高で4本書かれてる作家の方がいらっしゃって。それを超えたいなと思うんですけど。だから、あと3本くらい。お話はないですけど、あったらやりたいです」と『草燃える』など4作執筆の中島丈博氏を上回る5本書く意欲を見せた。
作品としては、敗者に注目することが多い。
「『新選組!』『真田丸』も歴史から見ると敗者。そっちにシンパシーがある。勝った人は、あんまり書きたくない。興味が湧かない」
気になる題材は「大河でも描かれないし、そんなに注目されない江戸時代の中期の人たち。蘭学者だとか、戦いとか争いじゃないところで生きた、それでも一生懸命生きていた人たちの話ってわりと好きなんです。地味ですけど」と明かした。
9月13日には脚本・監督の映画『記憶にございません』が公開。いまはまだ「映画監督修業中」とのことで、「僕は基本的には脚本家で映画監督ではないので、何年に1回か映画を撮らせていただくときは映画の勉強をさせてもらいに現場に行くというスタンスでいます」と謙虚に語っていた。
映画を愛しているがゆえに、「現場のカメラマンや助監督さんに至るまで、皆さん映画の世界の人だからみんな僕にとっては先生」と語っていた。
同時代、同年代の脚本家にライバルはいないというが、それでも後輩の脚本家を多少は意識している。「アエラ」2004年5月31日号では、宮藤官九郎氏について「宮藤さんが出てきてくれたお陰で、僕は自分のやらなきゃいけないことが見えてきたんです」とコメントしている。
「自分の世界を大事にしてマニアックに作っていくことが嫌いじゃなかったんだけど、“マニアック路線はこの人に託そう。自分はもっと大衆的なもの、間口の広いものをやっていこう”」と語っていた。
名実ともに日本を代表する脚本家である三谷氏。本人が意欲を見せた次なる大河ドラマは、いったいどんな作品になるだろうか。