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天童よしみ「演歌界の出川哲朗」扱いで、網で吊られたことも
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.09.10 20:00 最終更新日:2019.09.10 20:00
天童よしみが、9月7日放送の『運命のバクダン発言』(テレビ朝日系)で半生を語った。
若い頃はのど自慢大会で何度も優勝し、「のど自慢荒らし」と呼ばれたが、そのライバルとして競い、いつも準優勝だったのが上沼恵美子だった。
天童が歌手デビューした頃、上沼から手紙が届き、「よしみちゃん、歌手になっておめでとう。私は歌をあきらめて漫才しようと決めた」とつづられていたという。
天童は歌手デビューを果たすも、「演歌界の出川哲朗」という扱いだった。長らくヒット曲が出ず、レコード店、キャバレーだけでなく個人宅まで訪問して、レコードを1枚1枚手売りしていった。
テレビ番組からオファーが来るが、歌わせてもらえず、「着物で行ったら現場にバナナが置いてあって、それを取ったら網で囲われて上に吊られた」と、まさに出川のようなリアクション芸人さながらの扱いを受けた。
ほかにも、ウサギのお面をかぶってロケをこなすが、天童は「母から『何でもやってのけろ』と言われていた」と、どんな仕事もチャレンジする精神を叩き込まれたことを明かしていた。
そうした地道な努力を続け、ついに『珍島物語』がミリオンヒットを飾って、1997年の紅白歌合戦に出場。VTRでコメントを寄せた上沼は、紅白で歌う姿を見て「堂々たるものでした。泣きました。思い出します。本当に大ファン。嬉しくて嬉しくて……」と涙で語った。
実は、天童よしみの紅白初出場は、1993年の『酒きずな』だ。そこには2014年に亡くなったやしきたかじんさんとの親交があった。その出会いを天童がウェブ「ぴあ関西版WEB」で語っている。
自宅のそばに、たかじんさんの番組を手がけている放送作家が住んでおり、名字が同じだったことから、しばしば郵便物が誤配された。それを届けに行くうちに仲よくなったという。
《「実は僕、たかじんさんの番組をやっているんです。よしみさん、テレビ見ました? たかじんさんが、『絶対によしみを紅白に出す。俺はよしみにかける!』と言っているけど、やっていけますか?」と言われまして。後日、スタッフの方が家に来られて、紅白に向けてのプロジェクトチームが正式に発足しました》
天童の歌への真摯な思いが、さまざまな人に影響を与え、大ブレイクに導いたのだ。