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田原俊彦、デビュー曲の衣装はジャニーさんの手作りだった

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.12.23 20:00 最終更新日:2019.12.23 20:00

田原俊彦、デビュー曲の衣装はジャニーさんの手作りだった

 

 田原俊彦が、12月20日放送の『爆報!THEフライデー』(TBS系)で、7月に亡くなったジャニー喜多川さんへの思いを語った。

 

 田原はジャニーさんについて「一番の恩師ですし、田原俊彦を作ってくれた第2の親父」と回想。歌手デビューを飾った『哀愁でいと』の衣装はジャニーさんの手作りだったという。

 

 

『NHK紅白歌合戦』に7年連続で出演するなど、大人気を誇った田原だが、1994年に事務所からの独立を決意。その理由を田原は「次の光GENJIに手がかかったり、SMAPっていうの作るんだって。ああそうなのか、寂しかった」と後輩の台頭も理由にあったという。

 

 当時マスコミからは「ファクスでいきなり独立宣言」とも報じられた。だが、田原はジャニーさんと電話で「ジャニーさん。おれジャニーズやめるよ、いいよね」と相談。ジャニーさんから「これからもエンターテインメントを続けてほしい」とエールをもらっていた。

 

 独立後も、田原は自身のライブでは「ジャニーさんだったらこうする。こういうふうに音を変えるだろうと、いまだに僕のショーの中にそういうものがある」とジャニーさんから学んだことを活かしているという。常に「ジャニーさんの最高傑作になりたい!」という思いで走り続けてきたことを明かしていた。

 

 ジャニーさんが亡くなった後、姉で現ジャニーズ事務所会長のメリー喜多川氏から手紙が届いたという。そこには「トシ、自由が丘のショコラティエに会ってください」と書かれていた。その人物とは、田原の『ハッとして!Good』『ブギ浮ぎ I LOVE YOU』など田原の楽曲の多くを作詞・作曲した宮下智氏だった。現在はショコラティエとして店をオープンしている宮下氏と田原は、25年ぶりの再会でハグを交わした。

 

 ジャニーさんが「ファンの方へのラブレター」として宮下氏に依頼した楽曲『ジュリエットへの手紙』を宮下氏のピアノ伴奏で田原が熱唱。田原は「ジャニーさんがいたから今も生きられてる。今があるということに感謝というか、それがすべてですね」と目を潤ませながら語った。

 

 田原はメリー氏に対しても「優しかった。よくしてもらった思い出しかない」と感謝していた。

 

 番組では、田原の「俊彦」という名前の由来も調査。田原の父親は教師で、テレビ初公開の父の写真はドラマ『教師びんびん物語』(フジテレビ系)時代の田原そっくりだった。そんな父の教え子で、優秀だった生徒にちなんで「俊彦」と名付けられた。その由来となった一般男性の城谷俊彦さんがVTRで登場して、田原の父について「個人のいいところを伸ばしてくれた素晴らしい先生」と振り返っていた。運動神経抜群な点も父と田原は共通していたという。

 

 田原とジャニーさんの関係はまさに父と子、教師と生徒のような関係だった。いまもジャニーさんは天国から田原の活躍を見守っているはずだ。

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