佐藤二朗が、1月18日放送の『嵐にしやがれ』(日本テレビ系)で、「佐藤二朗テキトー伝説年表」を公開した。
自身の名前は本名だが、15年ほど前、母親から「佐藤二朗という名前はありふれていて、いかん(だめだ)。顔の形が豆に似ているから『佐藤ピーナッツ』(にしなさい)」と改名をすすめられたが、結局変更はしなかった。
役者を目指したきっかけは、小4のときに演じた猫役だった。佐藤が8割しゃべり続けるという内容で、その劇を見た父兄は大爆笑。そこから演劇にのめり込み、自らドラマを作り、カセットテープに録音して、倉本聰や山田太一、伊丹十三らに送ったという。「『僕を使ってください』と手紙を添えて送った」と明かしていた。
中学時代には、軟式テニス部に入部。理由は「隣にプールがあって、水泳部の水着を拝める」と下心があったから。すぐに帰宅部になったが、その裏には「俳優になる」という思いがあったという。
大学を経て「役者で食えるわけがない」と思うようになり、就職試験を受けて、みごとリクルートに入社。ところが、入社初日に「気づいたら、外に出てそのまま夜の鈍行で実家に帰っていました。僕の人生の汚点」と回想。
「1日で退社」したことは、同社に迷惑がかかることを懸念して伏せていたが、あるバラエティ番組のスタッフから「30年くらい前なんで、そろそろいいんじゃない?」と言われ、番組などで話すようになった。すると同社の雑誌『アントレ』(現在はウェブ版のみ)から表紙の依頼が来たという。
退社を理解した上でオファーが来たことに「リクルートって、非常に懐が広い」としみじみ語っていた。
ドラマ『シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う。』(日本テレビ系)出演中の佐藤。さまざまな経験を経て、名バイプレイヤーとしての地位を確立した。