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宇梶剛士、暴走族から立ち直らせてくれたチャップリンとスタ丼
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.01.24 11:00 最終更新日:2020.01.24 11:00
宇梶剛士(57)が育った、東京都国立市。この町に、豚肉をにんにくたっぷりの甘辛いタレで炒めた「スタ丼」発祥の店がある。
「中学は野球部だったから、いつも腹をすかせてた。あそこは、うまくて安くて腹いっぱいになる店だって、友達に聞いてね。でも『オヤジが怖い』って肝心な情報は教えてくれなかったんだよね(笑)」
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「名物 スタ丼 サッポロラーメン 国立本店」は、宇梶が15歳のときから40年以上通う店だ。25年前に亡くなった先代は、地元の有名人。当時不良だった宇梶も、おっかなくて、店の前を通るときには、バイクのエンジンを切っていた。
「悪さをしなければ、怒る人ではなかった。オヤジは若い人が大好きで、『うまいメシを、腹いっぱい食わせてやろう』という人だった。その息遣いが、今でもこの店には残ってる。
地元の人だけじゃなく、近所の一橋大学の学生も来るから、ここのスタ丼で育った人は、全国にいるんじゃないかな」
壁には、並盛の2倍ある「大盛り」を完食した、猛者たちの名前が貼り出してある。
「月イチは食べに来るね。『腹が減ったらここに来る』って、設定されてるから(笑)。
一昨年に亡くなった地元の弟分は、病気で固形物が食べられなくなったあとも、ここのスタ丼が食べたいって言ってた。頼んで流動食にしてもらったの。満足そうにしてたよ」
プロ野球選手を夢見ていた高校時代。とある事件がきっかけで、暴走族の総長になり、2000人ほどを従えた。
「当時は、大人に対する怒りとか不信感、恨みは凄まじかった。それが、生きていく燃料みたいなものだった。暴走族の総長は選挙で決めた。『大人はクソだ、社会は腐ってる』って言ってるくせにね(笑)。
国立は “文教地区” だけど、俺たちも共存してた。駅前のベンチでたむろしてたときも、『一般の人を怖がらせないよう、見るな』って言ってた。まあ、その後、ベンチは撤去されたから、やっぱり怖がられてたんだな(笑)」
暴力沙汰を繰り返し、少年院送りに。そのとき、母親が差し入れてくれたチャップリンの自伝が、宇梶の心を大きく動かした。
「母は人権運動に傾倒し、あまり家庭を顧みなかった。数少ない思い出が映画。言葉じゃなく、目で見てわかるチャップリンの作品が大好きだったんだよね。
彼は貧しくても役者を目指して努力を続けて、チャンスが巡ってきたときに、その才能を開花させた。『自分は、憧れのプロ野球のスカウトを受けるところまでいったのに、そこから落ちるとこまで落ちて、鉄格子の中で何をしているんだ』と。
それが無性に悔しくて、涙をボロボロ流したら、悔しさと恥ずかしさで耳が真っ赤になってね。そのときに、『もう不良はおしまい』だって思った。そして、何を勘違いしたか、チャップリンみたいに『俺も役者になる』と思って」