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新田恵利、モテなかったおニャン子時代「電話番号も聞かれず…」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.03.12 16:00 最終更新日:2020.03.12 16:00
気さくで、学校で隣にいそうな「会員番号4番」は変わっていなかった。レギュラー出演する『加藤裕介の横浜ポップJ』(ラジオ日本)のスタジオで、新田恵利に再会した。
「デビュー前も後も、全然モテなくて。おニャン子のメンバーから、『ドラマの共演者に電話番号を聞かれた』って話をよく聞きましたけど、私は本当になかった。さみしかったです。
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私の共演者は、丹波哲郎さんや小林稔侍さんみたいな、大人な方ばかりでした(笑)」
デビュー曲『冬のオペラグラス』は、4週連続オリコン1位。熱いファンに支えられた。
「波の出るプールの、プールサイドで歌ったことがあったんです。バラの花束を持ったファンの方がプールにいらして、必死に、こちらに泳いできた。
でも、『近づいたかな』って思うと、波に流されてすーっと遠ざかっていく。その繰り返しで、最後は疲れて、すごく遠くにいっちゃった。おかしくて、いまでも覚えています」
3月には、じつに18年ぶりの本格的なライブを開催する。ファンからは、歌ってほしい曲名が寄せられている。
「でも、『これ私の歌だっけ?』って思うようなものもあって……。歌詞を覚え直すところから始めないと。『歌は苦手』とか言われますけど、歌うのは好きなんですよ!」
3年前、熱海に中古住宅を購入し、ご主人と2人、DIYでリフォームしている。
「全部、自分たちでやってます。電気配線もやりたくて、主人に『第二種電気工事士』の資格を取ってもらいました。最初は自分で教科書を買って読んでみたんですけど、試験の1カ月前に、主人に丸投げしちゃいました(笑)」
6年前から、母親を在宅介護している。
「寝たきりですが、内臓も頭もすごく健康です。これから窓を開けられる季節になると、外の声や風景を感じられて、母は楽しいんじゃないかな」
新田恵利の素顔を覗いてみると、昔と変わらぬ素直な彼女がいた。
にったえり
1968年3月17日生まれ 埼玉県出身 1985年におニャン子クラブとしてデビュー。1986年、メンバーで最初のソロデビュー曲となった『冬のオペラグラス』は、売り上げ30万枚を超す大ヒットに。1996年に結婚。現在は介護に関する講演もおこなっている。3月20日に東京Shibuya eggmanでデビュー35周年記念ライブを開催する
(週刊FLASH 2020年2月25日号)