ほんまか、中島みゆき、って思ったら涙が流れて
芸人になっていちばんキツかったのは、コンビを解散して新喜劇に入ったときですね。それまではそこそこ仕事があったからバイトもしてなかったんですけど、コンビを解散してすぐに結婚して、27歳で新たにバイトを始めることになって。たくさんご苦労されている先輩方もいっぱいいらっしゃるので、僕ごときがおこがましいかもしれないですけど、新喜劇に入ってからの2年間はほんまに地獄でしたね。当時、新喜劇に入って初めてもらった給料が2万なんぼやったんですよ。実家もわりと裕福だったので、若いときからずっとお金には困ったことがなかったんです。でも、人生でいちばん貧乏なときに結婚してしまって、嫁はんを食わすためのお金も渡せず。最悪でした。
ある日、バイトに行ったら、年下のコらが「あれ? テレビ出てはりましたよね。いま何してるんすか?」って言ってきて。新喜劇に入ったって答えたら「ふーん…」っていう反応で。嫁はんは働きに出てるから、朝起きて先に出かけてる。僕が起きると、食卓に「これ食べてね」って書いてあって、料理が作ってあったりする。働いてるんやからそんなんせんでもええのにな、って思いながら。
新喜劇に行っても、下っ端でもらえるセリフは「ありがとう」のひと言だけで、それを言ってハケてくるだけ。この「ありがとう」をあと何回言ったら、俺のことオモロいと思ってくれんねん、って。漫才をやってたときは、手見せ(ネタ見せ)があるから1分間は好きなことやっていい、っていうことで自分をアピールできるんです。
でも、新喜劇って台本をポンと渡されるだけやから、アピールする場所がないんですよ。新喜劇が吉本のなかでいちばんチャンスのない世界なんです。嫁はんに金持って帰ってやるからな、見とけよ、って意気込んで現場に行っても、「ありがとう」のひと言でパーッとハケなあかん。階段が見えなくて、どうやって上がっていったらいいかわからなかった。
それで家に戻ったら、嫁はんが帰ってきて。「見て、この大根、50円やねん。安くない?」って笑顔で話しかけてきて。僕からしたら「嫁はんに50円の大根を買わしてる俺、なんやねん」って、情けない気持ちになって。そのときのじゃこおろしの味はいまだに忘れられないですね。
実際、2回ぐらいほんまに涙を流して泣いたときもありましたからね。そういう生活を繰り返してるときに、自転車に乗って仕事に向かってたら、中島みゆきの『時代』という曲が流れてきて。歌詞を聴いて、そんな時代もあったって話せる日がいつか来るってほんまか、中島みゆき、と思ったらポロポロと涙が流れてきて。ほんまにこの状況を笑える日が来るんかよ、って。でも、確かに今では笑ってますけどね。中島みゆきの言うとおりでしたわ。
(FLASHスペシャル グラビアBEST 2015年11月25日号)