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中村勘三郎の姉「42歳まで公共料金を払ったこともなかった」
エンタメFLASH編集部
記事投稿日:2016.03.04 17:36 最終更新日:2016.03.16 19:32
「去年の暮れにね、いつもわたくしに長くついてくれている付き人さんが大掃除で脚立から落っこちて、かかとを骨折してしまったんですね。
ただおろおろするわたくしの代わりに、妹の千代枝が病院の手配から全部テキパキとしてくれて。本当にありがたかったです。
気の毒に思った弟(十八代目中村勘三郎)のお嫁さんが85歳になるお手伝いさんを貸してくれたり、甥の勘九郎の嫁の愛さんが来てくれたりして、嬉しかったですね。
それで生まれて初めて家回りのことも自分でやったのですが、ベッドメイクも、どう頑張ってもいつものようにピシッといかない。
いかに人の力に頼って生きてきたかを痛感させられました。御存じの方も多いのですが、わたくしは楽屋にゴミ箱も置かないくらい極端な潔癖症なんです。
買い物でもなんでも思い立ったらすぐにしてしまわないと気がすまないせっかちなタチですので、ゴム手袋もせずに洗剤でゴシゴシ洗っていたら、手がアカギレになってしまって。女優なのになんてことをしているんだと、周りから怒られました」
そう話すのは、波乃久里子(70)。3月3日から、東京・国立劇場の新派公演『遊女夕霧/寺田屋お登勢』に主演する。
「じつは、わたくし、父(十七世中村勘三郎)が亡くなった42歳まで、公共料金を払ったこともなかったような世間知らずでしたから、付き人の手のない1月、2月とプライベートは大変だったんです。
でも、1月に歌舞伎作者の河竹黙阿弥の娘を演じた『糸桜』は大変な評判をいただきました。
自分で言うのもなんですが、わたくしは歌舞伎役者の娘ですから、劇中に黙阿弥が書いた弁天小僧の浜松屋をなぞる場面で、『知らざあ言って聞かせやしょう』と歌舞伎役者ばりに演じましたところ、それが父に似ていたらしく、口コミで歌舞伎役者さんたちがたくさん見に来てくださいました。
なかには父に似ているって目を潤ませて楽屋に入って来て、なかなか帰ろうとしない方もいらっしゃいました。ありがたいことです。また近いうちにぜひ再演したいと願っております」
3月に演じる『遊女夕霧』は、とても思い出深い演目だという。
「これまでにわたくしは7回演じているのですが、初めてやらせていただいたとき、わたくしに稽古をつけてくれましたのは、父でございました。
『遊女夕霧』は花柳十種のひとつであることからもおわかりのように、初代花柳章太郎先生が得意とするお役でございましたから、わたくしが初めて演じるにあたり、父が参考に花柳先生の映像を見まして、『これは女方芸だから』と、花柳先生の素晴らしい芸を全部自分で写して、わたくしに教えてくれたんですね。自宅に芝居の道具を持ち込んで全部飾ってくれて。
相手役は、番頭与之助も悟道軒円玉も、全部今は亡き弟、十八世勘三郎がやってくれました。今から考えると何と贅沢だったことでございましょう」
新派として15年ぶりに立つ国立劇場の舞台に、大女優も緊張を隠さない。
「波乃久里子としては今回が8年ぶり、8回目の夕霧です。でも、まだ初めてくらいの気持ちでございまして、自分でもビックリするくらい緊張感を持って取り組ませていただいております。
夕霧が与之助を救うために円玉を説得するところも、この1月に正式に劇団新派に入っていらした相手役の市川月乃助さんのお蔭で、今回はまたフレッシュに演じられると思います。
わたくしが大好きで、16歳のときのお弟子にしていただいた初代水谷八重子先生は、この国立劇場が大好きでした。先生は国立劇場建設中のとき、お車でわざわざ三宅坂の劇場の前をお通りになられ、『どうか新派がこの劇場で上演できますように』とお祈りをしていらっしゃいました。
国立劇場が昭和41年に落成してから6年後、昭和47年に先生の念願はようやく成就することができました。それから回を重ね、7回まで先生はこの三宅坂の舞台を踏んでおります。
その檜舞台で、またこうして新派公演ができますのは、先生が天国から導いてくださったからかなと思います。15年ぶりに、私の念願がやっと叶いました。夕霧は今回で8回目ですけれども、月乃助さんの与之助とまた一から創り上げていきたいです」
ニッコリ微笑む波乃の表情には、不安を口にする言葉とは裏腹に自信がみなぎっていた。3月27日まで。共演は水谷八重子、中村獅童、市川月乃助ら。(佐藤博之)