
自身が経営する東京・中野新橋のバー「Music Lounge GALAXY Tokyo」にて(写真・金谷千治)
「そんなに緊張しなかったんですよ。意外と冷静でしたね」
当時20歳で『紅白』に出場した、19(ジューク)のメンバー・けんじ(岡平健治)。1999年にリリースした『あの紙ヒコーキ くもり空わって』が大ヒットし、1999年と2000年の『紅白』に出演した。
「自分たちの力だけで出場できたわけじゃないので、『やったー!』っていう喜びよりも、『まわりの人たちのおかげでここまで来れたんだ』っていう事実を冷静に受け止めていたんですよ」
『紅白』の舞台裏は「とにかく、てんやわんや」だったそう。
「スケジュールが分刻みで、アーティストもスタッフもごちゃ混ぜになりながら移動していました。SMAPの香取慎吾さんが『僕はどこに連れて行かれるんだ~』って、廊下で叫んでたのを覚えています(笑)。あとは、自分たちの歌以外に、前川清さんと花笠音頭を踊る企画コーナーがあって、わらじを履いて全力で踊ったことが、当時は恥ずかしかった(笑)。前川さんは背が高かったので、その後ろに隠れていた僕はほとんど画面には映っていなかったと思いますが(笑)」
『紅白』出演直後も、インパクトのある思い出があった。
「終了後、花笠音頭の衣装のまま『COUNT DOWN TV』(TBS系)に出演するため、TBSまで大急ぎで移動したんです。そのとき『紅白』だけの待遇なのか、パトカー3、4台が前後について、サイレンを鳴らしながら先導してくれました。特別な経験でしたね」
そんな彼は現在、音楽活動を続けながら、都内に2棟のビルを所有する実業家の顔も。バーやホテル、ライブハウスの経営をおこなっているのだ。
「知り合いのすすめで19時代に株式投資をして、買っていた中国株が爆上がりしたんです。それを元手に会社を立ち上げました。おかげさまで、いままで一度も赤字になることなく、なんとか利益を上げています。ライブハウスは若いミュージシャンたちのために造ったもので、音響や設備にはとにかくこだわっていますね」
けんじ
1979年3月28日生まれ 広島県出身 1998年19でメジャーデビュー。現在は音楽活動のほか、ライブハウス経営やホテル経営など実業家として、またタレントとしても活躍
写真・金谷千治
取材&文・瑠璃光丸凪(るりこうまるなぎ/A4studio)
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