芸能・女子アナ芸能

「30歳までに1位を獲って辞めてやろうと」浜田省吾や尾崎豊を育てた須藤晃氏が74歳で死去…本誌に明かしていた「CBSソニーの至宝」のプロデュース術

芸能 記事投稿日:2026.10.15 19:00 最終更新日:2026.10.15 19:08

「30歳までに1位を獲って辞めてやろうと」浜田省吾や尾崎豊を育てた須藤晃氏が74歳で死去…本誌に明かしていた「CBSソニーの至宝」のプロデュース術

2017年に本誌のインタビューを受ける音楽プロデューサーの須藤晃氏

 

 2026年10月7日、音楽プロデューサーの須藤晃氏が死去した。74歳だった。

 

 浜田省吾、尾崎豊さん、村下孝蔵さん、橘いずみ、杉真理、ハイ・ファイ・セット、玉置浩二――。1980年代から90年代にかけて日本の音楽シーンを牽引したアーティストたちの作品には、いずれも「須藤晃」の名がクレジットされていた。

 

「CBSソニー(現SME)の至宝」と称された須藤氏が、生前に本誌へ語った「プロデュース術」を、再構成してお届けする。

 

――須藤さんは、東京大学を卒業後、CBSソニーに入社されました。

 

「レコード会社に入ったと親に伝えたら、『なんでそんなところに』とがっかりされましたね。音楽プロデューサーになりたかったわけではないけれど、始めたからには、30歳までにチャートの1位を獲って辞めてやろうと思っていました」

 

――辞める!?

 

「自分がこの仕事に向いているかどうかもわからなかったし……。でも、会社に入って、人からダメージを受けるようなことを言われて、すごすごと退散するのではなく、1位を獲って『ほら見たか、お前!』というところを見せて辞めてやろうと。そうしたら、まさに30歳のころに、村下(孝蔵)さん、浜田(省吾)、杉(真理)くん、尾崎(豊)さんと、バタバタッと、自分が手がけたものが全部売れていったんです」

 

――ソニーのアルバムのクレジットを見ると、須藤さんの名前ばかりだった記憶があります。

 

「会社から『やれ!』って言われたものも含めると、いちばん多いときはアーティストを14人担当していましたね。僕は会社に頼まれて断ったことはないんです」

 

――ヒットさせるための“何か”をつかんだ、ということでしょうか。

 

「こういうものを作れば売れるんじゃないか、と考えたことはありません。自分が聴きたいと思えるものを、一生懸命作る。その人のいちばんいいところを引き出す、ということを意識していました。たとえば、村下さんは、メロディラインも素晴らしくいいんだけど、絶対的なのは“声”。僕はよく言っていたんだけど、『お金を出しても買いたい声』は、大瀧詠一さんと村下さん。本当に、声のいい人というのはいるんです」

 

――須藤さんがこれほど多くのアーティストをヒットさせられたのは、声に魅力のあるアーティストを手がけてこられたから、ということでしょうか。

 

「いやいや、杉くんなんて声がいいわけじゃない(笑)。プロデューサーの仕事は、最大の長所を引き出して、それ以外の短所を消し去ることなんです。杉くんは、かすれた声をしているけれど、音楽的なセンス、メロディラインが素晴らしいから、ヒット曲が作れる。

 

 ただ、レコーディングアーティストとしては、声のいい人がいちばん得なんですね。ジョン・レノン、玉置さん、小田和正さん、井上陽水さん、尾崎さん、絢香さん、北島三郎さん。みんなめちゃくちゃいい声ですからね。大好きですよ」

 

――村下さんの代表曲のひとつ『初恋』のボーカルは、3テイクでOKだったそうですね。

 

「村下さんは、『仮歌』でOKにしているものも多かったですね。尾崎さんや玉置さんも、ほとんど1回しか歌っていません。うまいですからね。『もう1回歌わせてくれ。もっとうまく歌えるかもしれない』と言われても、『いやいや、大丈夫』って。ほんの少しフラット(♭)したり、枯れたりしていても、そういうのが好きなんです。NHKのアナウンサーのような歌い方をされても、何も感じないですからね(笑)。昔、中島みゆきさんが、『時代』という曲は生涯、何回も歌ったけれど、レコーディングのときに歌ったテイクがいちばんよかったと思う、という話を、ずいぶん後になって聞いてね。やっぱりそうなんだと思ったんですよ」

 

――長年、気になっていたことがあります。『初恋』のコーラスに、浜田省吾さんが入っていますよね。どういういきさつだったのでしょうか。

 

「あれは、浜田の声じゃなくて、町支(寛二)の声なんです。誰が聴いても浜田の声に聴こえますけど、あえて否定はしていません。あれを浜田の声だと思って(「初恋」を)買った人も多いだろうから、別に、言わないんだけど(笑)。浜田と町支の声は似ているんですよ。僕が聴いても、まるっきり浜田の声だなと思う。村下さんと浜田は同じ年なんでね。それなりにライバル心みたいなものもあるので、浜田には頼んでいません」

 

――同じ曲でも3パターンの歌詞を作るなど、世界観が完成していても、まったく違うものをあらためて作ってみることもあったそうですね。

 

「僕は、作詞家や作曲家に曲を発注しているわけではなく、作品そのものを世に出していくという責任を負っているんです。歌を作るのは、すごくお金がかかるし、最終的に大人を巻き込むことじゃないですか。だから、“こだわり”は持ち続ける。あらゆるアーティストに対して、(曲を作る工程の)最初から最後まで、その姿勢を貫いたという自負はあります。自分も年を取りましたけど、プロデューサーとして成功した最大の理由は、“頑固だったから”だと思いますね。自分がこういうものを作りたい、こういうものが世の中にあるといい、こういうものなら聴きたい、というものを作っているだけなんです。いつの時代もね」

 

――その“いいと思うもの”とは?

 

「その定規みたいなものを、何で測っていたかというと、その歌を自分が作ったのではなくて、ラジオから流れてきたときに、いいなと思うかどうかという客観性ですね」

 

 須藤氏が手がけた数々の名曲は、今後も長く愛され続けることだろう。

12

出典元: SmartFLASH

著者: 『FLASH』編集部

芸能・エンタメ一覧をもっと見る

今、あなたにおすすめの記事

関連キーワードの記事を探す