
鯉のぼりを着た楠田枝里子。自ら問屋街を何軒もまわり、本物を買ったそう
1981年から1992年まで放送された人気番組『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)。世界各地の風物や文化をユーモアたっぷりに紹介し、日本中を魅了した。その司会を務め、斬新な衣裳でも話題を呼んだ楠田枝里子が、番組の舞台裏と司会業への思いを本誌に文書で回答してくれた。
■『なるほど!ザ・ワールド』出演の経緯について
日本テレビを退社したとき、その後のことは何も決めていませんでした。会社の仕事をする一方で、絵本を作る仕事もしていたので、あまりに忙しく、疲れ果てていて、少し休憩したいという思いでございました。
それまで時間がなくて出来なかった、科学エッセイの執筆にとりかかり、しばらくそれに夢中になっていました(書き下ろしで、『ロマンチック・サイエンス』というタイトルで、上梓致しました。それがベストセラーとなったことから、その後『不思議の国のエリコ』『気分はサイエンス』等、科学エッセイを書き続けることになります)。
そんなのんびりマイペースで過ごしていた頃に、フジテレビの王東順プロデューサーが、私共のところにいらして、「新しい番組をスタートさせるのですが、その司会を引き受けてもらえませんか?」とおっしゃってくださったのです。
私自身、アナウンサーの仕事にはすでに興味を失っていましたが、司会の仕事は面白そうだ、という思いがございました(その後、テレビの世界では、「司会者」としての仕事を、私なりに追求してきたつもりです)。また、番組のコンセプトが、私の興味の方向とも一致していたので、受けさせていただくことになりました。
■一緒に司会を務めた愛川欽也さんから学んだこと
キンヤさんから学んだことは、多いですね。特に、スタジオの空気を醸成する力は、たいへん勉強になりました。
たとえば、本番が始まる前、観客の前で場を盛り上げ、スタジオ中を“温める”ために、マエセツと呼ばれる若手の芸人さんたちがいます。しかし、『なるほど!』では、その後にも、私たち司会者2人が出ていって、観客に向かって、場をさらに盛り上げるためのおしゃべりを毎回していたのです。
キンヤさんは、スタジオ前に集まった出演者の間でも、ベテランの話術で同様の工夫をしていらっしゃいました。ですから、本番が始まる前に、もうスタジオ全体が盛り上がっていたのです。「さあ、みんなで愉快に楽しもう」、という気分を、作り上げていたのですね。
そのシーンが放送されることはないけれど、笑顔が溢れる温かな空気は確実に、お茶の間に届き、たくさんの視聴者の皆さんに受け入れていただけたと、信じています。私は多くのテレビ番組の司会を務めてきましたが、観客が入る場合はいつも、同様に観客を巻き込む空気を作り出す努力をするようになりました。ただ、これは制作陣の理解・協力がなければできないことで、そういう点でも、『なるほど!』のスタッフは特別にすばらしかったと、思います。
キンヤさんと私のやりとりが面白かった、というご感想をおっしゃっていただけるのは、嬉しいですね。私は、放送される時間帯の生理感覚を、大事にしたいと思っていました。朝、昼、夜、深夜、それぞれに心地よい声の高さやスピードがあるのですね。『なるほど!』のケースは、火曜日の夜9時に、見る人を巻き込むことのできるしゃべりを、自分なりに作り上げようとしていました。
キンヤさんも、それを面白がってくださったので、テンポの合ったやりとりになったのではないでしょうか?
■番組で扱ったなかで、特に印象に残った国や地域について
どの国も、それぞれに、大変興味深かったです。どの放送回も、完成度が高かったからです。それはひとえに、制作陣のたゆまぬ努力と追求心の成果だと思います。何度も情報を練り直し、納得のゆくまで撮影・編集し、最上のものでなければボツにすることも躊躇わない、そういうプロの仕事だったと思います。
余談になりますが、当時、私自身、年間10回ほども海外に出るという生活を、長く続けていました(後にノンフィクション『ナスカ砂の王国』を上梓することになったリサーチの旅、個人的な調べものの旅、テレビ番組の撮影の旅、雑誌にレポートを書くための旅、親善使節団の旅、等々)。
司会をする上で、その経験や情報をトークに活かせたということは、多々ありました。
●個性的、と評判を呼んだ衣裳について
『なるほど!』は、それまで知られなかった、世界中の異なる文化、人々の暮らしや様々な情報をお伝えしてきました。多種多様な価値観が存在し、私たちを驚かせ、笑わせてくれました。そんななかで、司会者の衣裳も、大切な情報の一部だと、私は考えていました。
こんな新しい形も、色の取り合わせもある、と視聴者の皆さんに、驚き、楽しんでいただけるように、また番組を盛り上げることができるようにと、衣裳を用意していました。勿論、私自身も、おおいに楽しんでいましたよ。スタイリストさんとアイデアを出し合いながら、なんでもあり、の精神で、どんどんエスカレートしていきました。市販のお洋服では間に合わなくて、オーダーすることも多かったです。
クリスマスには、クリスマスツリーになったり、5月5日の子供の日の放送では、鯉のぼりを着たりしました(これらについては、長い話になるので、私のインスタグラムの記述をお読みください)。プロデューサーの王さんも、スタッフの皆さんも、キンヤさんも、面白がって、私に任せてくださったので、好きなようにやらせてもらいました。
また、全身のトータルコーディネートとして、帽子は不可欠でした。私は幼いころから帽子が好きで被っていたので、むしろ社会人になって、帽子を被れなくなったことを寂しく感じていました。『なるほど!』のセットは、世界のどこかの街角や自然のなか、というような設定だったので、帽子を被っていることは不自然ではなく、思い切りチャレンジして楽しむことができるのは、大きな喜びでした。
●今、『なるほど!ザ・ワールド』について思うこと
『なるほど!ザ・ワールド』は、海外情報番組の先駆けとなった、日本のテレビ史に残る名番組です。その司会を担当させていただいたことを、心からありがたく、誇りに思っています。また、『なるほど!』がなかったら、テレビ司会者としての私もなかったかもしれませんし、全く異なる人生になっていたのでは、と考えています。
くすだえりこ
司会者、エッセイスト。東京理科大学理学部を卒業後、日本テレビにアナウンサーとして入社。『おしゃれ』の司会などで注目を集める。独立後はノンフィクション、エッセイ、絵本などの著作活動を続け、『ナスカ砂の王国』『チョコレートの奇跡』などこれまでに35冊を出版したほか、司会者としても高い評価を受け、『世界まる見え!テレビ特捜部』(日本テレビ系)『FNS歌謡祭』(フジテレビ系)などで活躍。今世紀に入ってからは、チョコレートの健康効果についての科学的研究や、カカオの歴史・文化、ショコラティエの世界などを情熱的に探究し、日本の高カカオチョコレート・ブームをリードしている
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