
「自分をさらけ出す仕事も嫌じゃないから、続けてこられたのかな」と渡辺満里奈(写真・木村哲夫)
「去年から麻雀教室に通っています。女性専用のサロンで、賭けなし、酒なし、タバコなしの健康麻雀。すっごく楽しい! 麻雀は、運が半分っていうところがいいですね」
そう笑顔で語るのは、元おニャン子クラブの会員番号36番、渡辺満里奈。歌手、女優、バラエティ、そしてMCへと活動の幅を広げながら、現在まで第一線で活躍を続けてきた。そして、今年はデビュー40周年――。
「音楽なら音楽、役者なら役者と道を決める人もいますよね。私はバラエティにも出ていて、『自分は何者なんだろう?』って悩んだこともありました。でも、楽しいと思えることを仕事にしてきたんだから、それはすごく幸せなことだなと思えるようになりました」
渡辺が芸能界に足を踏み入れたのは14歳のとき。家族にすすめられて雑誌「セブンティーン」のオーディションを受けたことがきっかけだった。3次の歌唱審査で落選するが、レコード会社の担当者からレッスンに勧誘される。
「誘われたから行ってみようかな、くらいの感じでした。自分がアイドル歌手になるとか、俳優やモデルになるなんて、まったく考えていませんでした。レッスン生と『(松田)聖子ちゃんってお給料どれくらいもらっているんだろうね?』なんて話をしたり、芸能界に少し近い場所にいる感じがして、ドキドキして楽しかったですね」
1986年、15歳で人気絶頂だった「おニャン子クラブ」のオーディションに合格。工藤静香や渡辺美奈代らとともに、後期を支える主力メンバーの一人となる。
「初めて飛行機に乗ったのも、ロサンゼルスやサンフランシスコに行ったのも、おニャン子の写真集の撮影やレコーディングでした。ソロデビュー曲を録ったのもロスだったんじゃないかな。修学旅行みたいな感じでしたね」
3月に加入し、10月には『深呼吸して』でソロデビュー。シングルは初登場1位を記録し、翌1987年には日本武道館でイベントを開催、1万人のファンが詰めかけた。
「みんなで頑丈な船に乗って、誰かが舵を取ってくれて、荒波を進んでいくような感じでした。振り返ると、大人の人たちに守ってもらっていたんだなぁと思います。安心して活動できたし、ものすごく人気もあった。どこか現実離れしていましたね」
おニャン子での活動は1年半ほど。グループの解散後、渡辺は一人で活動を続けていく決意をする。現場での経験を重ねながら、自分の立ち位置を模索する日々だった。
「大人の人と話をするのは、当時は本当に苦手でした。ある小説家の方を前にして、台本を見ながらしどろもどろになったことがあって、『自分の言葉でしゃべってよ』と言われたことがありました。ほんとにそうだな、と思いましたね。話を聴くことは楽しかったけれど、私の準備不足だったし、そういう失敗を重ねてきました」
転機となったのが、『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系)。
「お2人は“お兄さん”のような存在で、収録もすごく楽しかったです。それまでは歌を出したりドラマに出演したりと、いわゆるアイドルの活動をしていましたが、この番組に出たことで、“バラエティに出ている人”というイメージが強くなった気がします」
人気コーナー「モジモジ君」などに出演。顔にマジックで鼻血を描かれるなどの体当たりの活躍を見せるうち、物怖じすることもなくなっていった。そして、MCとしても仕事の幅を広げていく。
「それでも最初は、自分にできるのか不安でした。人の話を聴くことも、それまであまり意識してこなかったので。でも、マネージャーに『向いているよ』と、背中を押されてやってみたら、ものすごく楽しかった。自分のなかの引き出しを開けてもらったような感覚でした」
その手応えを最初に強く感じたのが、NHKの音楽番組『真夜中の王国』だった。
「毎回アーティストの方をお招きしてお話を伺う番組だったんですが、音楽の話をたくさん聴けておもしろかった。その後、『ジャングルTV〜タモリの法則〜』(TBS系)でタモリさん、『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京系)では、ビートたけしさんとご一緒するなど、仕事の幅も広がっていきました。若いときに、さまざまな音楽とアートを吸収できたのは大きかったですね」
■その時々の「本当に心が動いたこと」を形にしている
かつて苦手だった「人と話すこと」を、大きな武器にした渡辺。さまざまな世界にふれた経験は、その後に広げていく執筆活動の土台となり、台湾茶やピラティスなど、当時はあまり注目されていなかった題材にも早くから目を向けてきた。
「その時々で、本当に心が動いたことを形にしているのかなと思います。MCやバラエティ番組もそうですが、誰かを演じるのではなく、自分をさらけ出してやる仕事だったりもします。そういうのが嫌じゃないから、続けてこられたのかなと思いますね」
そんな渡辺が昨年刊行した『不機嫌ばかりな私たち』(講談社)のテーマは、意外にも「更年期」。その時期に訪れる心身の変化や、つい不機嫌になってしまう自分自身について、率直に綴った一冊だ。
「どんなに美人でお金持ちでも平等に年は取るし、症状は人それぞれでも、更年期は誰にでもやってきます。それをどうやって乗り越えればいいのか、私自身が知りたかった情報だったんです。だから自分と向き合うことに、ためらいはありませんでした」
そして3月21日には、大滝詠一さんがプロデュースしたミニアルバム『Ring‐a‐Bell』の発売30周年を記念したデラックス・エディションが発売された。
「私が音楽を好きになるきっかけになったのが、小学6年生のときに聴いた『ナイアガラ・トライアングルVol.2』(1982年、大滝詠一、佐野元春、杉真理)でした。大滝さんにお会いしたとき、そのことを熱弁したんです。そうしたら『じゃあ、佐野くんに曲を書いてもらおうか』って」
こうしてできた一枚は、大滝、佐野、杉の3人に加え、山下達郎もコーラスアレンジで関わったとされる。
「歳を重ねるごとに、素晴らしいアルバムだと思えます。でも当時は、それがどれだけすごいのか、ぜんぜんわかっていませんでしたね(苦笑)」
渡辺は34歳だった2005年、お笑いトリオ「ネプチューン」の名倉潤と結婚。20年以上、支え合ってきた。
「夫はとにかく優しい人です。たとえば、私が『嫌だ!』と言ったことは、二度と絶対にやらない。学習能力が高いというか(笑)、そこはすごく尊敬できるところですね」
だが結婚当初は、よく喧嘩もしたという。
「価値観をすり合わせていかなきゃいけない時期で、お互いに直してほしいところもありましたから。私は喧嘩をすると黙ってしまうタイプで、夫はとことん言葉を尽くすタイプ。彼は『どんなに時間がかかっても、お互いが納得するまで話し合って、最後は“おやすみ”と言って寝よう』って。それまで、そうやって関係を築いていくことをしてこなかったので、とても衝撃でした。今では私のほうが、『もうそれ以上言わないでくれ!』っていうくらいしゃべるようになりましたけど(笑)」
現在55歳。親の介護にも向き合うなかで、これから先、どんな未来や老後を思い描いているのだろうか。
「うーん、まずは生活を少しずつダウンサイジングしていくことですね。そのうえで本を読んだり、映画やお芝居を観たり、本当に好きなことを大切にして生きていきたい。あとは、健康第一で過ごすこと。年齢を重ねれば、少しずつできなくなることもあると思いますが、それを受け入れながら、できることをやっていきたいですね」
年齢を重ねても、心が動いたことには迷わず手を伸ばす。そんな姿勢が、渡辺満里奈の40年のキャリアを支えてきた。
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