僕らの青春を彩った「美しきおっぱい」の歴史を、“美乳メディア”の写真集から見てみよう。
1985年から2002年まで続いた「巨乳期」を振り返るうえで絶対にはずせないのが、日本の「おっぱい史」を塗り替えた一大発明、ヘアヌード写真集の出版ブームだ。
1991年に篠山紀信が撮影した宮沢りえの写真集『Santa Fe』、そして樋口可南子の写真集『water fruit』。2つの写真集の、合わせて200万部を超える爆発的な売り上げは、「ヌード披露=女優の落ち目」という常識を根底から覆し、ヘアヌード草創期を生み出した。
つまり、女優が脱ぐ際にバストトップを見せるか否かが唯一の焦点だった時代を変え、おっぱいは「見せて当然」というありがたい潮流をつくったのだ。
1992年の荻野目慶子、1993年の石田えりなど、有名女優をキャスティングする流れは1990年代半ばまで続き、ベールに包まれていた巨乳美女の乳房を次々と露わにしていった。
同時期に別のアプローチを試みたのが加納典明氏だ。有名人を撮るという流れに反し、素人モデルに焦点をあてた。1994年には総集編写真集『きクゼ!』を発表し大ヒット作となった。
1994年には年間200以上の作品が発表され、熱狂は頂点に。1995年の高岡早紀『one,two,three』、1997年の菅野美穂『NUDITY』はブームの集大成といえる。
美乳は、こうした紆余曲折の末、僕らの前に姿を現したのだ。
【4期に分かれる美乳年表】
<おっぱい小僧期>
1950 「おっぱい小僧」ことストリッパーの川口初子デビュー
1956 前田通子が映画『女真珠王の復讐』で初のフルヌードになる
1959 メートル法が完全実施され、女性のバストサイズがセンチ表記に
1964 ワコールが上場を果たす
<ボイン期>
1965 大人気深夜番組『11PM』で大橋巨泉が朝丘雪路を「ボイン」とからかう。ボインという言葉が生まれる
1966 前田美波里が資生堂のCMに登場し話題に
1967 若林映子、浜美枝が『007は二度死ぬ』に、日本人初のボン ドガールとして水着姿で登場
1969 月亭可朝のコミックソング『嘆きのボイン』が80万枚の大ヒット
1972 栗原小巻が『忍ぶ川』でヌードに
1980 宮崎美子が『ミノルタ』CMに出演。水着姿で人気を博す
1981 美保純がロマンポルノデビュー
1983 五月みどりが44歳で日活ロマンポルノに出演。熟女の美乳が露わに/堀江しのぶがデビュー
<巨乳期>
1985 アメリカの成人映画『Raw Talent』が公開される。邦題は『マシュマロ・ウェーブ/巨乳』。「巨乳」という言葉が初めて一般に使用された
1989 かとうれいこがクラリオン・ガールに選出される/松坂季実子がデビュー/武田久美子が貝殻ヌード写真集を発表/後に「ひなポーズ」を生み出す雛形あきこがデビュー
1997 小池栄子と優香がデビュー
<多角期>
2002 「ワカパイ」の異名を持つ井上和香がデビューする
2004 「おっぱい番長」のあだ名を持つ相澤仁美がデビュー
2006 「グラビア界の黒船」としてリア・ディゾンが日本上陸
2008 磯山さやか、『水戸黄門』のレギュラーとなり、由美かおるとの入浴シーンに挑む
2009 爆乳で有名なプロテニス選手シモナ・ハレプが縮胸手術
2011 元アイドルの小向美奈子AVデビュー。スライム乳と呼ばれた
2014 「やなパイ」と呼ばれ、大人気のIカップグラドル柳瀬早紀デビュー
(週刊FLASH 2016年7月26日号)