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飛行機の不時着も…巨大すぎる「高島平団地」地元紙が見た50年
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2020.09.26 16:00 最終更新日:2020.09.26 16:00
東京・板橋区にある巨大団地『高島平団地』をご存じだろうか。
36万5000平方メートルの敷地内に、5階建てや14階建ての集合住宅が全64棟立ち並び、その団地内には今も1万6000人もの住民が暮らしている。団地周囲の住宅も含め、なんと板橋区の全人口の11パーセントが「高島平」地区の住人になる。
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団地の敷地内には6つもの商店街があり、病院やスーパーなども充実。余りに団地が広大過ぎることから、「子供だけでなく、宅配業者が迷子になる」、「酔っぱらった住人が自分の家に帰れなくなる」などのエピソードも枚挙に暇がない。
入居開始から間もなく50年の節目を迎える高島平団地だが、そんな団地をひたすら見つめ続け情報を伝えている新聞がある。
創刊から49年目となる『高島平新聞』。同紙は毎月1回発行、高島平団地の全戸約1万室および周辺地域に配布される地元のニュース紙だ。この新聞の版元である高島平新聞社も、団地内の一室で、創刊以来編集作業に勤しんでいるという。
同社の創業者で取締役会長の村奈嘉義雄氏に、巨大過ぎる高島平団地について語ってもらった。
「高島平の町自体が、高島平団地を中心にスタートし、発展してきたのです。それまで、田んぼしかなかった場所に団地計画を中心とした新しい町を造り、道路が整備され、学校や病院などの公共施設が建設されました。賃貸住宅8287戸、分譲住宅1883戸、合計1万170戸という、日本でもこれまでに例のない大きな規模で造られています」
巨大団地誕生には、日本経済と団塊の世代の成長が大きく関連していると同氏は語る。
「時代背景としては、わが国の戦後間もなく生まれた、いわゆる『団塊世代』の結婚・出産時期を控えて人口の増加が見込まれ、日本住宅公団が中心となって、全国的に住宅建設が急がれていました。そのなかでも高島平団地はシンボル的な存在でした」
高島平団地ならではの特徴を村奈嘉氏に訊いた。
「首都圏周辺の団地に比べ、団地そのものの面積は狭いのですが、ぎゅっとまとめられ、便利さと賑わいを作っている都市型団地の典型が高島平団地です。その後の大型マンションや団地のひな型になっている元祖的な存在だと思います」
50年間、団地では様々な出来事や事件があった。子供が増え過ぎたことにより、学校が足りないという事態も。
「団地に人々が入居した1972年から翌年にかけ、出産予定の妊婦が急増しました。保健所が発行する母子健康手帳が高島平団地だけで、1年で2000冊を超えたんです。その流れは数年続き、保育所入所難、幼稚園入園難、小学校教室不足など、さまざまな問題が起こりました。小学校も新たに作られましたし、住人が私設保育所や福祉法人をつくり認可保育園を開設するなど、他の地域では見られない動きもありました」
団地の敷地が広大なゆえ、1973年、飛行機が不時着するという珍事も!
「住民から『ジェット機が団地に墜落した』という電話の一報があったんです。何の音もしなかったのですが、駆けつけてみると、団地内の都立赤塚公園予定地にセスナ機のようなパイパー機が不時着していました。ガス欠のため炎上もせず、幸いパイロットも無事でしたが、あれには驚きましたね」
「自殺の名所」として注目を集めてしまった時期もあった。
「団地入居間もない1972年6月に一人目の飛び降り自殺があったんです。最初のころは団地居住者によるものが多かったのですが、次第に団地へ飛び降りをしに来る人が増え、新聞・テレビで報じられ、自殺者が増えてしまいました」
自殺者が100人を数えるころには社会問題化し、地元神社の神主によるお祓い、行政・学者を交えた対策会議が設けられた。物理的に飛び降りができないよう、廊下や階段の開口部にフェンスを設置するなど対策も施されたという。
「巨大団地ならではの、楽しい催し物も多い」と同氏は語る。
「とにかく住人が多いので、夏の盆踊りなどの催しには2万人もの人が集まることもあります。ちょっとしたライブよりも集客があるんです。団地や周囲に暮らす子供たちにとっては、本当に楽しい時代だったと思いますよ」
タワーマンションや戸建て住宅では決して味わえない豊かな日々が、巨大団地には確かにある。