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「不倫の損得」方程式を田山花袋の小説『蒲団』で学ぶ

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2020.10.03 16:00 最終更新日:2020.10.03 16:00

「不倫の損得」方程式を田山花袋の小説『蒲団』で学ぶ

写真はAC

 

 田山花袋の小説『蒲団』の主人公は竹中時雄。33歳前後の、職業は文学者です。『蒲団』はわが国最初の私小説なので、主人公のモデルは花袋自身であり、この小説は花袋が経験した恋愛の告白ということになります。

 

 時雄は「美文的小説」を書いて生業としていました。そこに、19歳の横山芳子という神戸女学院大に通っていると思しき女子大生が弟子入りを志願してきます。何度か手紙でやりとりするうちに時雄は気に入り、弟子入りを許したため芳子は上京してきます。

 

 

 会ってびっくり、「ハイカラな新式な美しい」女性でした。時雄は「妻が無ければ、無論自分は芳子を貰ったに相違ない。芳子もまた喜んで自分の妻になったであろう」と書き、芳子との不倫をいろいろ妄想しますが、結局、行動には移しません。

 

 不倫するかしないかを決める場合、実行者は用意周到なシミュレーションをします。不倫したらどんなにすばらしいか、あるいは自分は秘密にするが相手は大丈夫か、発覚した場合には配偶者からどのようなペナルティが待っているのか――。時雄の場合も妄想を通じていろいろな場面を想定しています。

 

 時雄は芳子に対して不倫願望はあっても、行為には及んでいません。手をつなぐこともキスもしようとしませんでした。

 

 いったい、どのような計算があったのでしょうか? 不倫をするかしないかの意思決定は、実は方程式にすることが可能です。方程式をつくるには、以下の4つの変数を考慮することが不可欠になります。

 

a.不倫から得られる利得
 最大のリターンは性行為がもたらす快楽、スリル、および一時的ではあるものの相手を保有できることです。露木幸彦が『みんなの不倫』(宝島SUGOI文庫)で指摘しているように、不倫相手には性行為というリターンのほかに、恋愛的メリット(=恋愛バブル)、精神的メリット、逃避的メリットが同時に存在しているということになります。

 

b.発覚する確率
 不倫を実行する場合、発覚する確率を計算し、最悪の事態に備えておくことが重要になります。

 

c.発覚後のダメージ
 不倫が配偶者に見つかった場合、単なる叱責から、物質的・金銭的補償、さらには別居、離婚といった強硬手段に訴えられるケースまであり、さらには配偶者や子どもの心を傷つけるといった場合も考えられます。また不倫が発覚した後に、不倫相手と会えなくなるというのも大きなダメージの1つです。

 

d.倫理観
 倫理観があれば、不倫は自制するものです。逆にこれがなければ、人は簡単に不倫に至ります。倫理観というものは、その人のもつ生来的なものと、これまでの人生で受けてきた教育や経験によります。また不倫した後の罪悪感をどの程度いだくかもこの変数に含まれます。

 

 以上の変数を考慮に入れて「不倫の方程式」を作成すると、以下のようになります。

 

 不倫の意思決定=(不倫で得られる利得)-[(不倫発覚の確率)×(発覚後のダメージ)+(倫理観)]

 

 この方程式がプラスになれば不倫に至り、マイナスになれば不倫しない、という意思決定になります。不倫に及ぶ場合はそこで得られる利得が決め手となり、その逆に、不倫を思い留まらせるのは発覚した際にこうむるダメージ、および自分の心に内在している倫理観しだいということになるのです。

 

 時雄には不倫願望がありましたが、最後まで行為に及ばなかったということは、上記の方程式で言えば、マイナスになったからです。なぜマイナスになったのでしょうか?

 

 第一の利得については、時雄にはたくさん存在しました。結婚生活が平凡になり、妻にも飽きていたので、大きな刺激を欲していました。その刺激として「出来るならば新しい恋を為たいと痛切に思った」とあるので、恋愛バブルによって倦怠感を払拭したかったわけです。

 

 一方で第二の不倫が発覚する可能性は、かなり高かったことが推測されます。なにしろ芳子は時雄の姉の家に滞在していたので、姉を通じて明らかになることは必然でした。時雄の妻も、時雄が芳子を気にかけていることは十分に承知していたので、実際に行為に及べばすぐにわかってしまったことでしょう。

 

 第三の発覚後のダメージについての描写はありません。妻から離縁されるとか、子どもはどちらが引き取るかといった点について、作中では不明のままです。そこまで時雄の頭が回らなかったのかもしれません。時雄には文学者としてのプライドがあったので、発覚後というより、むしろ芳子に拒絶されたときのダメージを考慮した可能性が考えられます。

 

 第四の倫理観の有無については、時雄にはこの倫理観が多分にありました。加えて「自己の良心」を抱き、「厳格たる師としての態度」を忘れずにいました。

 

 恋愛感情に対して、社会の道徳律や伝統的社会の慣習に裏打ちされた表の良心と、先生と生徒という関係を崩したくないという「道徳律」が働き、不倫行為に及ぶことを思い留まらせたのです。時雄=花袋は、恋愛感情の成就や性的な欲求よりも、こうした倫理観を優先できる人だったのです。

 

 

 以上、森川友義氏の新刊『恋愛学で読みとく文豪の恋』(光文社新書)をもとに再構成しました。恋愛学を提唱する著者が、これまで文学者や評論家が言及してこなかった作品の新しい魅力を浮き彫りにします。

 

●『恋愛学で読みとく文豪の恋』詳細はこちら

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