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洋服、洋食、クラシック音楽…なぜ西洋文化は世界に広まったのか

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.29 16:00 最終更新日:2020.11.29 16:00

洋服、洋食、クラシック音楽…なぜ西洋文化は世界に広まったのか

 

 世界史をふり返ると、中世の終わりまでヨーロッパ文明はあくまでも諸文明のひとつであって、飛び抜けていたわけではありません。

 

 たとえば、ヨーロッパ人はイスラム勢力にしばしば苦戦し、イベリア半島(スペイン・ポルトガル)は長いことイスラム王朝の支配下にありました。東ヨーロッパも、モンゴル帝国やオスマン帝国の支配を受けています。

 

 

 ところが、西洋人が思考OS(=思考回路)をアップデートした近代初頭を境にして、彼らの文明がほかの文明を明らかに圧倒し始めます。19~20世紀になると、欧米諸国は特にアジア・アフリカに進出して、次々に植民地化もしくは属国化しました。帝国主義と呼ばれる歴史です。

 

 さて、これと似たようなことが、実は文化面でも起こっていることに、皆さんはお気づきでしょうか。

 

 古くは数ある中のひとつに過ぎなかった西洋文化。それが今では世界の隅々にまで浸透しています。しかも、洋服・食事・エンターテインメントなど、あらゆる領域にまたがって浸透しているのです。

 

 18歳まで日本にいた私にしても、和服を着た覚えがほとんどなく、和菓子よりもポテトチップスなどのスナックを好み、邦楽ではなくクラシックや(西洋の影響を受けた)ポピュラー音楽で育ちました。

 

 このような現象は、程度の差こそあっても、世界中で見受けられます。

 

 かつて、西洋人が世界を支配できたのは、科学技術のイノベーションが加速度的に進み、圧倒的な軍事力を保持しえたからに他なりません。すなわち、近代西洋OSの三本柱――「科学」を中心に、それを支えた「近代合理主義」と「専門家」――によって実現したということです。

 

 我が国にしても、1853[嘉永6]年に突如あらわれた、たった4隻のアメリカ海軍の蒸気船にふるえ上がったのが直接的なきっかけで、西洋の思考OSと文物をとにかく急いで輸入して、根付かせようとしました。

 

 そして、それが一定の成功をおさめたからこそ、北は樺太から南は台湾までを支配する、アジア唯一の超大国(列強)となりえたわけです。

 

 圧倒的な軍事力によって帝国主義が起こってしまった――これは因果関係が明白です。また、テクノロジー(科学技術)を輸入して便利な世の中が実現した――これも明白で、あらためて説明する必要はありません。

 

 しかし、文化面においても西洋が圧倒的な影響力を及ぼしているのは、よく考えると不思議なことです。どうしてこのような事態になったのでしょうか。

 

 実は、ここを掘り下げていくと、近代西洋OSの強さの秘密がとてもよく分かるのです。

 

 日本の「西洋化=近代化」については、明治~大正を生きた大文豪・夏目漱石(1867~1916)が核心をピタリと言いあてた言葉をのこしています。

 

《西洋の開化[=新しい知識によって世の中が変わること]は内発的であって、ちょうど蕾(つぼみ)から花びらが外へ開くように、内から自然に出て発展している。
 一方、日本の現代の開化は外発的で、外からおおいかぶさった他の力で、やむをえず形になったものだ。》(『現代日本の開化』より・一部改変)

 

 これをクラシック音楽で説明してみましょう。

 

 江戸時代までの日本には、「ドレミファソラシド」の音階を歌える人など、ほぼ皆無でした。それはそうです。「ドレミ」は西洋で形成された音の並びであって、ほかの地域では、ひとつの音階における音の数、並び方、それに音の高さだってまったく違うからです。

 

 たとえばインド音楽など、ドとレの間にも数多くの音がありました。日本にしても各地にさまざまな流儀の音階があったわけです。

 

 かわって今の日本では、演奏される音楽のほぼすべてが「ドレミ」をもとにしています。そして、中世カトリック教会でミサ曲を学習するために開発されてきた五線譜に、その音を書きつけているのです。

 

 20世紀も後半になると、箏曲や三味線といった邦楽奏者も、五線譜を用いるようになってきました(本来はまったく違う音のシステムだったわけですから、これはとても奇妙なことです)。

 

 このような状況になった直接的なきっかけは、明治の学校教育にあります。

 

 近代西洋OSを広めるにあたって、明治政府は欧米にならった教育制度を整えたのですが、そのときに唱歌(現在の音楽にあたる)の授業も加えられました。

 

 西洋人に肩を並べられるよう、なんとか五線譜に書かれてある「ドレミ」くらいは歌える国民を育てることのほかに、愛国的な歌をうたわせることで国家を統一しようとする政治的な目的もあったようです。

 

 最初は教えられる先生が誰もいなかったので、アメリカから音楽教育者ルーサー・メーソン(1818~96)をはじめとする外国人を招いて教えを乞いました(ちなみに、ピアノを習った人なら一度は弾かされるだろう教本『バイエル』は、彼が日本にもち込んだものです。明治のお雇い外国人が薦めたものを、私たちは後生大事に受け継いでいるのです)。

 

 1881[明治14]年に、五線譜による初めての教科書『小学唱歌集』を完成させます。皆さんご存じの『蛍の光』と『仰げば尊し』も、この教科書に収められたのがきっかけで日本人に広まりました。

 

 そして1887[明治20]年には、クラシック音楽を専門的に学ばせる教育機関として、東京音楽学校(現東京藝術大学)を設立しました。

 

 こうした政府主導による学校教育、いわば上からの努力によって日本国民に西洋音楽が広まっていきました。これが漱石のいう、外からおおいかぶさった力による「外発的」な変化にあたります。

 

 その一方で漱石は、西洋人にとっての西洋文明は、自分たちの内から自然に出てきたものだから「内発的」であると指摘しています。ロンドンでノイローゼになるほど英文学を学んだ漱石ゆえに、内発と外発のちがいを根本から見抜いているのです。そして、そこから生じてくる問題や苦悩をテーマにして小説を書きました。

 

 見落としてはならないのは、これが日本だけの現象ではなく、中国や韓国といった他の非西洋文化圏でも起こっているということです。ですから、今あげた「外発的」ゆえの問題は、それらの地域にもあてはまります。

 

 もともとクラシック音楽はヨーロッパの地域芸能に過ぎませんでした。ところが、洋服や洋食と同じように、20世紀には世界中を支配するほどの力をもちます。クラシックの音楽理論が、他の音楽ジャンルの基礎になってしまったのです。これは、アップデートされたOSのもと、西洋において音楽が科学的に思考されるようになったことに原因があります。

 

 アップデートされたOSでクラシックが処理された結果、科学の成果とまったく同じように、誰に対しても有効な説得力(普遍性、もしくは客観性)を持ち合わせるようになったのです。

 

 

 以上、伊藤玲阿奈氏の新刊『「宇宙の音楽」を聴く 指揮者の思考法』(光文社新書)をもとに再構成しました。20歳を過ぎて音楽家への道を選び、ニューヨークで戦ってきた指揮者が綴る、成功と失敗の概念を超える「しなやかな思考」のつくりかたとは?

 

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