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【4月29日の話】人間は空を飛べるのか…二宮忠八が「飛行器」の実験に成功
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2021.04.29 09:00 最終更新日:2021.04.29 09:06
1891年(明治24年)4月29日、日本で初めて、ゴム動力による「カラス型飛行器」が空を飛んだ。実行したのは、当時陸軍に所属していた二宮忠八だ。
1887年に入隊した二宮は、演習中にカラスが空を飛ぶ姿を見たことから、飛行原理について考え始める。そこから研究を重ね、実際に飛行器を飛ばすことに成功した。
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しかし、二宮はある出来事をきっかけに研究をぱったりとやめ、京都府八幡市に「飛行神社」を創建することになる。同神社の宮司・友田享さんに話を聞いた。
「カラス型飛行器は、言うなれば飛行原理を実験するための器械です。二宮はその後、人が乗るための『玉虫型飛行器』を考案し、試作に入ろうとします。その頃ちょうど日清戦争が起きるんです。軍に飛行器の設計図を見せて開発の話を持ちかけたのですが、あえなく却下されてしまい、二宮は一人で開発する決意を固めて軍をやめてしまいました。
その後は大日本製薬会社に入社し、資金も揃えて開発を進めたのですが、1903年、アメリカのライト兄弟が飛行機を完成し、飛行に成功するんです。それを聞いた二宮は、悔しさから模型を叩き潰し、研究をやめてしまうんです。飛ばさなかった、とでも言いましょうか。ライト兄弟が先に飛んでしまった以上、どうしても外国人のマネごとと思われてしまいますから」
しかし、新しい技術には失敗もつきものだ。飛行機が実際に飛行してから、航空事故も多発するようになる。一時でも飛行器の開発に尽力した二宮としては、思うところが大きかったのか、自宅の庭に飛行神社を作るに至った。
「1911年、外国で近藤元久さんという方が航空事故で亡くなります。そのときから、二宮は家の中にその方を供養するスペースを作っていました。ですから、飛行機が飛んでから7~8年後には、飛行神社を作る計画はできていたんでしょう。
もし自分が先に飛んでいたら、自分が死んでいたかもしれない。今後、飛行機の分野はますます繁栄していくはずだと考えた二宮は、『その人たちがいたからこそ今がある』ということをわかってもらうために、亡くなった方を空の神様としてお祀りするようになったんです」(友田宮司)
当初、古代の空の神とされるニギハヤヒノミコトと、航空事故による国内の犠牲者たちを祀っていたが、2代目宮司の「空はつながっている」との考えから、1989年以降、外国の犠牲者たちも祀るようになった。境内も拡大し、古代ギリシャ風の神殿を模した拝殿も新しく作られた。
「4月29日は大祭日で、例年、多くの航空業界関係者が集まるのですが、今年は緊急事態宣言の発令もあり、縮小して実施します。いつもはCA希望者が合格祈願にいらしたり、パイロットの方々が航空安全を祈願しにいらしてましたが、コロナ以降なかなか難しく……。
職業柄、感染に人一倍気をつけていらっしゃる方が多いので、お守りを郵送することが大変多くなりました。早くコロナが収束して、境内に絵馬がずらりと並ぶさまを見たいですね」
※写真提供:飛行神社