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時代の転換期は「禅の思想」で…一休さんに学ぶ「なるようになる」思考法
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2021.04.30 16:00 最終更新日:2021.04.30 16:00
現在、時代は、これまで経験しなかったほどの転換期にあります。誰もが仕事も、プライベートも、あるいは人間関係も、大きく、劇的に変化したことを実感しているはずです。
そのなかで感じる不安や迷い、抱える悩みや心配事は、これまでとは様相も中身も違うものと映っているのではないでしょうか。その “未知感”、わからなさが、不安や心配事を増幅しています。
そのような状況だからこそ、わたしにはこれまで以上に強く思うことがあります。禅の必要性がそれです。禅のものの見方、考え方、処し方、ふるまい方が、いまほど求められているときはない。わたしはそう確信しているのです。
自分の人生について、あるいは、自分が生きている時代や世の中について、しばしば思うのはこんなことではないでしょうか。
「思い通りにならないなぁ」
そうなのです。人はすべて思い通りに生きることなどできませんし、時代も、世の中も、思い通りに流れてはくれないのです。より実感に近いところでいえば、思い通りになることなどほとんどないのが人生であり、時代、世の中である、といってもいいのではないでしょうか。
しかし、そんななかでも、なんとか思い通りにしようとする。それが人間の性というものかもしれません。思い通りにするために努力をするのはいいのです。それは精いっぱいするべきでしょう。
そのうえで、“する” ことに固執しないことが大切なのだと思います。あくまですることにこだわると、(することが)できなかった結果をうまく受け容れることができませんし、できなかった自分を責めたり、悔やんだりすることにもなります。
一方、するための努力をしたら、あとは(なんとか)“なる” という発想でいたら、どうでしょうか。どんな結果であっても、それは、一応の決着がついたということです。つまり、なんとかなっているのです。それを受け容れるのは難しいことではないでしょう。自分を責めることも、悔やむこともありませんね。
なんとかなる、という発想はまさに禅の考え方です。頓知の名手として知られる一休さん、一休宗純禅師にまつわるこんなエピソードがあります。
臨終が近いことを感じた一休さんが遺言状をしたためます。そして、弟子たちにこう厳命するのです。
「この遺言状は、わしが死んでもすぐに開けてはならん。宗門の存亡にかかわる重大な事態に遭遇したときに、開けて読むようにせよ。たちどころに、解決の手立てがわかるであろう」
後年、存亡の危機に直面した際、宗門の重席にある僧たちが集まり、打開策を話し合います。しかし、とんと名案が浮かびません。そのとき、その座の一人が一休さんの遺言状のことを思い出し、もってきて開封します。
一同が固唾をのみ、息をひそめて、読み上げられる遺言状の文言に耳を傾けます。書かれていたのは、次の一文でした。
「なるようになる。心配するな」
どんなものごとも、どのような事態も、思い通りにすることはできませんが、なるようにはなるのです。そのなった結果を受け容れる覚悟さえあれば、なにも心配などいらない、というのが一休さんがいわんとしたことではないでしょうか。
一休さんの遺言、時空を超えて “生きて” います。
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以上、枡野俊明氏の新刊『心がスッと軽くなる禅の暮らし方 心配事を「力」に変える』(光文社)をもとに再構成しました。これからの生活、これからの社会で心配事や不安から抜け出すために活かせる「禅の知恵」を案内します。
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