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借金1500万円からの逆転「軽貨物輸送」の次は「葬祭」で儲ける
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2017.01.18 20:00 最終更新日:2017.01.18 20:00
株式会社H.A.S代表の蓮沼綾仁さん(43)が言う。
「中学生のころからロックバンドに走って、ミュージシャンで食べていこうと考えていた。担当はギターで、布袋寅泰が目標だった。だから大学にも行かずにバンドにどっぷり。
でも、バンド活動にはお金もかかる。稼ごうと思って、19歳のときに軽のバンを買って、弁当の移動販売を始めました。それが事業らしきものをした最初ですね」
地元埼玉の弁当屋さんと契約して仕入れた弁当を、丸の内や日本橋のオフィス街へ運んで2倍の値段で売った。弁当の移動販売が流行っていて、初めは好調だった。
しかし無許可販売なので、地元の商店からクレームが入るようになる。場所を変えてもその繰り返し。結局、売る場所がなくなり、半年ほどで廃業。車の購入費や仕入れ代、ガソリン代、バンドの活動経費などで気づいたら20歳で借金が1500万円!
波瀾万丈の前半生を語るのは蓮沼綾仁さん。30代前半にしか見えないスマートな実業家だ。借金はどうなった?
「20歳でこの額ですから絶望的になった。でも、悩んでいても返済の期日が迫るだけなので、結論は働くしかない! バンドはやめてダンプの運転手やガードマンなど昼も夜も働きました。若いから体力はある。そうしたらできるもので、4年くらいで完済しました。それが自信になった。やる気さえあればなんとかなるって。
今思えば返済を始めたときが、最初の転機ですね。それまでは優柔不断な性格だったのが、『行動しなければ何も始まらない』という考えに変わった」
借金を返した蓮沼さんは、車が好きなこともあり、中古車販売店に就職して車販売の勉強。そして、30歳のとき独立して中古車販売の会社を設立した。
しかし、運悪くそのころから売れる車は燃費のいい軽自動車にシフトして、高い車は売れなくなった。価格もネットで比較されるようになって利幅が減ってきた。なんとかしなければいけないと思って、不動産をはじめいろいろな仕事を手がけた。誘われて始めた軽貨物運送もそのひとつだった。
「軽の車を買って、ダメだったら売ればいいぐらいの気持ちで始めました。37歳のときでしたが、それが大きな転機となった。でもそのときはただやってみようと……」
ネット通販の売り上げが伸び始めた時期で、配達の人手が足りない。1年たったらドライバーを25人ほど雇っていて、利益も上がった。その後も右肩上がりで伸び続けている。
現在のドライバー数は100人ほど。独立した人の子や孫を入れると300人近くになる。誰もがネットで物を買う時代になって、業界の配達人不足は続く。蓮沼さんはこの状態が10年、20年は続くとみている。
ドライバーを募集すると40代の応募者が多い。確かに40代は子供の教育にお金がかかるし、50~60歳になったらどうするかを考えだす年齢だ。会社の業績が悪ければ転職か起業を考える。ところが起業となれば初期投資は半端ではない。さらに、継続的にやっていけるかも心配だ。
「うちの場合は初期投資がいらない。車がなければレンタルでもいい。仕事はうちが出すのでハードルが低く、起業したい人にすすめています。やる気さえあれば早い人は1年ぐらいで形になる。月に1000万円売り上げたとか。だから年商が1億円くらいになる人もいますよ……。
軽貨物輸送で利益を確保し、新規事業として現在取り組んでいるのが葬祭関係。簡素化した葬式が増えたことに新規参入のチャンスがあるとみている。実際に、軽貨物輸送の経験を生かして霊柩車サービスを始めた。
「2040年まで死亡する人の数は増え続けるそうです。葬祭は人に感謝されるものだし、世の中に必要な仕事。親切丁寧に、誠意と誇りをもって取り組んでいきたいと考えています」
さて、新規事業は蓮沼さんの第三の転機となるか? ちなみに会社名のH.A.Sは苗字の「蓮」にかけたものだが、「ヒューマン・アシスト・サービス」(人の手伝いをするサービス)の頭文字でもあるそうだ。
(週刊FLASH 2016年1月31日号)