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生きづらさの正体「世間体」実は根拠の薄いものだと疑ってみよう

ライフ・マネー 投稿日:2021.08.25 11:00FLASH編集部

生きづらさの正体「世間体」実は根拠の薄いものだと疑ってみよう

 

 日本社会の特徴を顕著に表す例として「再出発ができない・再出発しにくい」という点が挙げられる。

 

 労働市場でいえば、新卒偏重主義がそうだろう。一度、離職をしたり学業でドロップアウトしたりすると、そこから這い上がるのが容易ではないこともそうだ。終身雇用が崩壊しつつあり、同時に非正規労働が増えている中で実に歪な構造だといえる。

 

 

 産業界でいえば、起業を行いにくい点も、先進国では特異な文化といえるだろう。失敗を許さない社会構造と、世間体に対して必要以上に価値を置く個人の心の在り方が相互作用した結果、このような現象へとつながっている。

 

 こうした「失敗を許さない」日本的な価値観は、ある意味での「純潔主義」に通じる部分もある。これは主に大企業や上場企業が、新卒偏重の姿勢を未だ崩していない点にも表れている。

 

 賛否はあれど、現在では、非正規労働やフリーランスとしての働き方が広まっている。しかし多くの日本人は、「良い大学に行き、良い企業に就職し、長く勤めて出世すること」という「良い生涯のドグマ」ともいえる幻想の中に未だにいるように見える。

 

 実際、そうした軌道に乗ったほうが世間体的にも良いし、結婚もしやすいと信じられている。たとえば自動車や家などの高額な買い物をする時にローンが組みやすく、生涯賃金も比較して多いという現実がある。

 

 起業の面ではどうだろう。たとえばアメリカ合衆国では、特に若い世代が起業をすることを推奨する機運が社会の中で共有され、起業で何度か失敗した人のほうがノウハウがあると見なされて、資金が集まりやすいという傾向がある。

 

 対して日本の場合は、一度、起業に失敗すると、「落伍者」としてのレッテルを貼られやすく、再起をすることには困難がつきまとう。再度、起業をしようとしても経済的な「信用」の面でも金融機関などから資金を得にくい。起業をあきらめて中途採用でどこかの企業に就職しようにも、景気動向などにもよるが、その選択の幅は狭まるのが今の日本社会の現実だ。

 

 これらの背景には、私は日本的な「ケガレ(穢れ)」の概念があると考えている。このケガレの概念については、その成立の過程については諸説あるが、神道にその源泉を求めることに異論は少ないだろう。

 

 ケガレている状況とは、伝統的には「死・病・近親相姦・女性・負傷・呪術(またはそれによって呪われた状態)」などがそれにあたる。

 

 これは前近代において、共同体内に疫病を持ち込んだり、遺伝的疾患を発生させないように、経験則と本能に基づいて発生した忌避の精神が、やがて体系化されたものだとも見ることができる。

 

 この「ケガレ」の概念は、コロナ禍の中でその狂暴さを見せた。2020年初頭からの世界的な新型コロナウイルスの感染拡大で、特に日本では感染の第一波が広がる過程で、感染者や感染が疑われる人に対して差別的な言動が投げかけられるという事態が一部で見られた。

 

 たとえば、コロナの感染者を出した施設などにメールや電話などで暴言が投げかけられるという事案だ。

 

 これはつまり、日本において前近代のものと多くの人が考えている「ケガレ」の概念が実はまだ根強く残っていることに他ならない。

 

 こうしたコロナ禍に関連した差別に関しては、非科学的であるだけでなく、バッシングという意味で、世間体がもたらす負の部分が如実に表れているといえる。

 

 日本的な同調圧力というものは、実際の社会的関係性に着目して考えなければならないものだろう。

 

 たとえば日本の学校では、クラスにおいても児童生徒の間で明確な序列が存在し、その序列上位の人物や集団が生み出す世間体(つまり権力者による世間体)に服従するか、または上手く受け流すかしなければ、その権力者から攻撃を受けることになりかねない。

 

 もちろん、そのクラスの上位集団が生み出す世間体も、担任の教師や親とその集団との関係性で複雑に変化する。その複雑な関係性の中で、大部分は無意識のうちに自分がどう振る舞うべきかを決定する。

 

 社会に出てからは、主に企業内や職場内での規律構造を内面化し、あわせて家庭や地域社会、メディアやインターネット上の規律構造を内面化した上で、どう振る舞うかを決めていることになる。

 

 こうした、現代の複雑かつリアルタイムで相互作用する世間体と対しながら、人はいかに「同調」するか(しないか)を体現しているともいえるだろう。

 

 日本人は、日本的な「ケガレの精神」や「純潔主義」が、たとえば現実の政治経済や企業活動、一人の人間の世俗における生活の中に染み込んでいることをまず認識すべきだと私は考えている。

 

 それを認識しさえすれば、個人がそこから離れた冷静な視点を持つことができる。たとえば就職活動に失敗して「良い生涯のドグマ」から外れたように感じたとしても、視点を変えてみることが大事である。

 

 人は多くの場合、世間体をどこか絶対的なものだと感じる特性がある。だが、その世間体とは、そもそも本当に存在するものなのか、もしかしたら自分の心の中にだけあるのではと疑うことも、時には必要だろう。

 

 もし生きづらいと感じているなら、それを強いる世間体は、実は「重厚な仮面をかぶった軽薄な世間体」なのかもしれないと考えてみることが必要だ。言い換えれば、「世間体とは実は根拠の薄いものだ」と時には意識してみるのだ。

 

 そうして、価値を外部ではなく自分自身に置くことが、次へつながる活路を見出すことにもなる。

 

 

 以上、犬飼裕一氏の新刊『世間体国家・日本 その構造と呪縛』(光文社新書)をもとに再構成しました。この国を支配する「空気の構造」を分析し、他人の目が気になる理由を考えます。

 

●『世間体国家・日本』詳細はこちら

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