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「潜伏キリシタン」と異なる「かくれキリシタン」世界遺産から除かれた理由とは
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2021.11.03 16:00 最終更新日:2021.11.03 16:00
長崎に点在する教会と美術の調査旅行に参加した。十数年ほど前にも同じ地を訪れたが、そのときよりも案内板や駐車場が整備され、観光客も格段に増えていた。2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録されたためである。
江戸時代250年間の禁教令下における厳しい弾圧の中、宣教師不在でありながら、信者のみで信仰を守り通したことが評価されたという。
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長崎の外海地方と五島列島では、多くの信者がキリスト教信仰をひそかに守ってきた。開国後、再び宣教師が来日し、彼らが発見されたが、キリスト教は1873年まで解禁されず、その間に多くの過酷な弾圧と悲劇があった。
上五島の頭ヶ島は無人島であったが、明治初年に弾圧を避けてキリシタンが移住して集落を形成した。
重要文化財となっている教会は、長崎の教会を数多く手がけた鉄川与助の設計で、漁師たちが仕事の合間に石を切り出し、ひとつずつ運んで10年かけて完成させた、日本では希少な石造の教会。内部は船底天井で、五島列島の椿を意匠化した花模様によって明るく装飾されている。
「潜伏キリシタン」という聞きなれない言葉は、この世界遺産登録で急にクローズアップされた。禁教下にひそかに信仰を守り、解禁後、正統なキリスト教に復帰した信徒たちのこと。
一方、「かくれキリシタン」とは、同じく信仰を守りながらも、欧米からもたらされたキリスト教に復帰することを拒み、独自の信仰を堅持した信徒のことを指す。両者は禁教下では同一であったが、解禁後の対応によって区別されるのだ。
今回の世界遺産には、後者の「かくれキリシタン」は含まれていない。平戸の生月島はかくれキリシタンの中心地であり、今なお多くの信者が独自の信仰を守っている。250年の間にその信仰は土着化して先祖崇拝などと結びつき、キリスト教とはいいがたい宗教になってしまった。
彼らは「お掛け絵」とよばれる聖画を飾って拝むが、西洋伝来の図像が、何世代もたつうちにすっかり日本化して独自のものに変容している。
こうした興味深い文化やその遺跡は、世界遺産から排除された。かつて日本で普及したキリスト教が、長らく弾圧されたにもかかわらず、劇的によみがえったという西洋回帰の物語に沿うものだけが選別されたのである。
キリスト教から離れてわけのわからぬ土俗宗教になってしまったかくれキリシタンは、こうした物語にとって都合が悪いのだ。
そもそも世界遺産という制度自体が、欧米の価値観に基づく一元的なものにすぎないのである。にわかに観光客でにぎわうようになった長崎の島を巡りながら、複雑な気分になった。
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以上、宮下規久朗氏の新刊『名画の生まれるとき~美術の力II~』(光文社新書)をもとに再構成しました。日本の学校教育では得られない、美術を楽しむための知識が満載です。
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