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医師が実名で語った「私のがん体験」お母さん死んでしまうかもと涙を/田所園子医師
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2021.11.07 11:00 最終更新日:2022.09.16 20:27
自身の病巣を冷静に診る医師としての顔、ショックで怯える “患者” としての顔――。がんになった医師たちが、その体験を赤裸々に語った。病院や治療法をどう選んだのか、苦しみをどう乗り越えたのか。そして、どんな “がん名医” が彼らを治療したのか!?
41歳で子宮頚部腺がん(ステージ1)になった、かわな病院内科・緩和ケア・麻酔科の田所園子医師(52)。
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「『お母さん、死んでしまうのかもしれん……』。一度だけ、そう言って子供たちの前で泣いてしまいました」(田所医師)と、当時の不安な気持ちを明かした。
2010年、田所園子医師は職場の定期検診で、子宮頚部腺がんがわかった。
「婦人科医の知り合いに連絡をしまくりました(笑)。そのほか、当時のガラケーで患者の情報サイトをたくさん見て、患者会にも参加しました。
当時、私は地方都市である高知市に住んでいました。ある患者会に参加したところ、『地方と都会では医療格差が大きいので、県外でセカンド・サードオピニオンを受けるべきだ』とすすめられました」
周囲には、「高知で治療を受けるなんてあり得ない」と言う人もいて、複雑な心境になったという。
「それでも、私は勤務先の高知大学医学部附属病院での治療を決めました。手術を担当することになったのが、前田長正先生。私は麻酔科医として、よく前田先生の手術を担当しており、正確な手術をされることを存じていました」
手術は、田所医師の意向を汲み、再発リスクを抑えるために広範囲の細胞を切除した。
「今も生きていられることに満足しています。後遺症で尿意がわからなくなりましたが、時間を決めてトイレに行けば支障ありません」
田所医師は、地元でがん治療ができてよかったという。
「たしかに、教育格差や経済格差など、医療にはさまざまな格差があります。しかしがん治療では、基本的には地元の『がん診療連携拠点病院』にかかるのが最善の選択肢のひとつだと思います。拠点病院は私が手術を受けた高知大病院をはじめ、全国に405カ所もあり、そこでは十分な標準医療を受けられます」
田所医師は2019年、30年以上暮らした高知を離れ、地元である愛知県に戻った。
地域に密着した新たな勤務先で、これまでの経験を生かす日々だ。
【私を救ったがん名医】
高知大学医学部附属病院 婦人科前田長正医師
取材/文・吉澤恵理(医療ジャーナリスト)