元メジャーリーガーのイチロー選手が、友達と遊ぶのも我慢して年間360日も練習していることを綴った小学生のころの作文は有名だ。「さすが一流になるひとは違う」と多くのひとが絶賛した。
しかし年間360日、おそらくイチロー少年と同じくらいの気合いで勉強している中学受験生には、「小学生なのにかわいそう」という言葉がかけられることが多い。
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バットと鉛筆。握っているものが違うだけなのに、なぜこうも反応が違うのか。毎日何時間もスポーツや芸術に打ち込む少年少女は、仮に華々しい成果はあげられなくても美談の主人公になれるのに、中学受験生の努力が彼らと同列に語られることは少ない。
テレビドラマ化もされた中学受験漫画の『二月の勝者―絶対合格の教室―』(高瀬志帆、小学館)に、主人公の塾講師が、思い悩む生徒に向かって次のように言う場面がある。
「なんで『勉強ができる』って特技は、『リレー選手になれた』とか『合唱コンクールでピアノを弾いた』とかと同じ感じで褒めてもらえないんだろうね?」
自分が歯を食いしばって努力している姿を、世間がどこかしらけた目で見る。何も知らない大人たちから注がれる一方的な哀れみの視線を、中学受験生だって感じている。
中学受験勉強は決して楽ではない。子どもにとって負荷が大きいだけでなく、親にとっても時間的、金銭的、そして精神的な負荷が大きい。
やり方を間違えれば子どもが壊れてしまったり、親子関係がおかしくなってしまったりもする。不仲になるよりむしろ感情的な癒着状態になってしまうケースが多い。
しかし約3年間におよぶ中学受験の日々そのものを通して、志望校合格以外にも大きな財産が得られるとしたら、どうだろうか。実際、中学受験勉強は、やり方次第で良薬にも毒にもなる。
ここでノーベル賞経済学者のジェームズ・ヘックマン博士の研究を紹介したい。経済学者だが、教育関係者にもその名前はよく知られている。幼児教育によって「非認知能力」を育むことの大切さを主張した論文が有名だ。
■非認知能力とは何か?
恵まれない子どもたちの幼少期の生育環境を改善し、その後数十年にわたって追跡した2つの調査結果をヘックマン氏は経済学の視点から分析した。両プロジェクトは、まともな幼児教育を受けられない子どもたちの環境を改善したという話であり、何か特別な英才教育をしたわけではない。
幼児教育を受けた子とそうでない子とでは、一時的に知能指数に差ができたものの、その差は成長にともなって消えた。しかし、大人になったときの年収や生活の豊かさには有意な差があることがわかった。
そこから、知能指数のようには測定できない何らかの能力が幼児教育によって身についており、それが長期的な影響を与えているのだろうとヘックマン氏は主張した。その「何らかの能力」こそが非認知能力なのだ。
ヘックマン氏は著書『幼児教育の経済学』(東洋経済新報社)で「意欲や、長期的計画を実行する能力、他人との協働に必要な社会的・感情的制御といった、非認知能力」との表現を使用している。
これが一般に、ヘックマン氏が意図するところの「非認知能力」の概念であると解釈されている場合が多い。文部科学省が掲げる「生きる力」を「認知能力+非認知能力」の総合力だと解釈すれば、さらにイメージが伝わるだろうか。
彼の主張が火付け役になり、いま日本では「非認知能力」という言葉がブームになっている。しかしくり返すが、何か特別な幼児教育が必要なわけではない。日本の幼稚園の教育要領や保育所の保育指針どおりの幼児教育が行われていれば十分なのだ。
■中学受験で非認知能力が伸びる!?
さて、幼児教育の大切さを訴えようとしてヘックマン氏を引いたわけではない。彼が行う別の研究に、中学受験とも関連しそうなものがあるのだ。
2014年11月17日の日経ビジネス電子版に掲載された記事で、彼は「子供に課題を与えて、毎日来させて、計画・実行させ、最後に仲間と一緒に復習をさせる実験をしました。1日2、3時間、小学生に対して2年間毎日実施しました。追跡調査の結果、この経験がその後の人生において大きなスキル向上につながっていたことが分かりました」と述べている。
この実験の立て付け、何かに似ていないだろうか。中学受験勉強だ。もちろん取り組む課題の内容や負荷の大きさは違うだろうが、それは問題ではない。幼児教育だけでなく、小学生に対する継続的な働きかけでも非認知能力が伸ばせることを示唆した発言である。
私が中学受験勉強そのものに感じる効果もここにある。中学受験勉強で覚えた知識は、時間が経つと忘れてしまう。大人になって久しぶりに母校の入試問題を解こうと思ってもなかなか解けるものではない。だとしたら、あの中学受験勉強は無駄だったのか。入学への切符を得るためだけにした苦役だったのか。否。
中学受験勉強の経験を通して得られる非認知能力こそが、中学受験勉強そのものから得られる果実だと思う。その果実は、偏差値の高低には関係ない。だから、子どもが模試で芳しくない成績をとってきたとしても、「あんなに勉強したのにこれだけの偏差値しかとれないのか……」などと思うべきではない。
決して楽ではない中学受験の日々のなかで、親は、偏差値では表せない果実にこそ目を向けてほしい。そうすれば、中学受験の日々が無駄だったなんてことには決してならない。
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以上、おおたとしまさ氏の新刊『なぜ中学受験するのか?』(光文社新書)をもとに再構成しました。膨大な取材経験を背景に、中学受験の意味を壮大なスケールで描き出します。
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