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信長は下呂温泉、秀吉は有馬温泉…戦国武将も入った名湯に浸かりたい!(画像1/13)公開日:2021.12.11 更新日:2021.12.11

徳川家康も入った熱海温泉 【熱海温泉 日航亭・大湯】 住所/静岡県熱海市上宿町5-26 家康は熱海の温泉が大のお気に入りで、江戸まで15時間かけて運ばせていた。 「家康による温泉の宅配便(御汲湯)は、歴代将軍にも継承されました」(歴史紀行作家の上永哲矢さん) ※特別に許可を得て、バスタオル、模造刀を使用しています

徳川家康も入った熱海温泉 【熱海温泉 日航亭・大湯】 住所/静岡県熱海市上宿町5-26 家康は熱海の温泉が大のお気に入りで、江戸まで15時間かけて運ばせていた。 「家康による温泉の宅配便(御汲湯)は、歴代将軍にも継承されました」(歴史紀行作家の上永哲矢さん) ※特別に許可を得て、バスタオル、模造刀を使用しています

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熱海本陣跡

熱海本陣跡

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武田信玄も入った下部温泉 【古湯坊源泉舘】 住所/山梨県南巨摩郡身延町下部45 1300年前から多くの人々の傷や病を癒やしてきた源泉舘の「武田信玄公かくし湯大岩風呂」。 「武田信玄が許可証を発行し、温泉を大切に守ってきた証しである書状が残っています。岩盤の下から湧出する温泉なので新鮮そのもの。ぬるいので長く浸かれるのも魅力です」(歴史紀行作家の上永哲矢さん)

武田信玄も入った下部温泉 【古湯坊源泉舘】 住所/山梨県南巨摩郡身延町下部45 1300年前から多くの人々の傷や病を癒やしてきた源泉舘の「武田信玄公かくし湯大岩風呂」。 「武田信玄が許可証を発行し、温泉を大切に守ってきた証しである書状が残っています。岩盤の下から湧出する温泉なので新鮮そのもの。ぬるいので長く浸かれるのも魅力です」(歴史紀行作家の上永哲矢さん)

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信玄による免許状(古湯坊源泉舘所蔵)

信玄による免許状(古湯坊源泉舘所蔵)

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静かな温泉街に掲げられる幟

静かな温泉街に掲げられる幟

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伊達政宗も入った青根温泉 【湯元不忘閣】 住所/宮城県柴田郡川崎町青根温泉1-1 歴代仙台藩主御用達だった「御殿湯」と、藩主の別荘「青根御殿」を擁する。 「約400年前に滞在した政宗が、同所での感激を忘れないように、『不忘』と名づけたことが屋号の由来とされています。政宗が湯浴みしたと伝わる『大湯』の石風呂は今もそのままの位置にあって、もちろん源泉も同じ。のんびり戦国時代を偲びながらの入浴が楽しめます」(歴史紀行作家の上永哲矢さん)

伊達政宗も入った青根温泉 【湯元不忘閣】 住所/宮城県柴田郡川崎町青根温泉1-1 歴代仙台藩主御用達だった「御殿湯」と、藩主の別荘「青根御殿」を擁する。 「約400年前に滞在した政宗が、同所での感激を忘れないように、『不忘』と名づけたことが屋号の由来とされています。政宗が湯浴みしたと伝わる『大湯』の石風呂は今もそのままの位置にあって、もちろん源泉も同じ。のんびり戦国時代を偲びながらの入浴が楽しめます」(歴史紀行作家の上永哲矢さん)

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「青根御殿」には伊達家伝来の宝物や書状が数多く展示されている

「青根御殿」には伊達家伝来の宝物や書状が数多く展示されている

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上杉謙信も入った野沢温泉 【十王堂の湯】 住所/長野県下高井郡野沢温泉村豊郷9604 謙信と信玄が都合5度も激突して北信濃の支配権を争った「川中島の合戦」。野沢温泉は武田方の勢力下にあったが、この戦いのあいだ、一時的に上杉軍の陣地になった。 「このとき、謙信の将兵が野戦病院として使ったり、謙信自身もつかの間の癒やしに利用していたとしても不思議はありません。『景虎(謙信)、野沢の湯に至りて陣を進め……』という書状も残っています」(歴史紀行作家の上永哲矢さん)

上杉謙信も入った野沢温泉 【十王堂の湯】 住所/長野県下高井郡野沢温泉村豊郷9604 謙信と信玄が都合5度も激突して北信濃の支配権を争った「川中島の合戦」。野沢温泉は武田方の勢力下にあったが、この戦いのあいだ、一時的に上杉軍の陣地になった。 「このとき、謙信の将兵が野戦病院として使ったり、謙信自身もつかの間の癒やしに利用していたとしても不思議はありません。『景虎(謙信)、野沢の湯に至りて陣を進め……』という書状も残っています」(歴史紀行作家の上永哲矢さん)

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源泉の湧く麻釜では、野沢菜などの野菜を洗う人の姿がある。共同湯は13軒

源泉の湧く麻釜では、野沢菜などの野菜を洗う人の姿がある。共同湯は13軒

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豊臣秀吉も入った有馬温泉 【有馬温泉 上大坊】 住所/兵庫県神戸市北区有馬町1175 藤原定家、足利義満、秀吉や黒田官兵衛も入った歴史的な源泉がある。秀吉が有馬温泉に通ったのは公式な文書で9回。 「非公式を含めればもっと多いと思います。秀吉と有馬の関係は、幽閉され憔悴した官兵衛が有馬で治癒した効果に着目して始まったのかもしれません」(歴史紀行作家の上永哲矢さん)

豊臣秀吉も入った有馬温泉 【有馬温泉 上大坊】 住所/兵庫県神戸市北区有馬町1175 藤原定家、足利義満、秀吉や黒田官兵衛も入った歴史的な源泉がある。秀吉が有馬温泉に通ったのは公式な文書で9回。 「非公式を含めればもっと多いと思います。秀吉と有馬の関係は、幽閉され憔悴した官兵衛が有馬で治癒した効果に着目して始まったのかもしれません」(歴史紀行作家の上永哲矢さん)

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有馬の温泉街。秀吉が利用した湯殿の跡を展示する施設もある

有馬の温泉街。秀吉が利用した湯殿の跡を展示する施設もある

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織田信長も入った下呂温泉 【源泉の宿 湯本館】 住所/岐阜県下呂市幸田1084 平成3年に発見された古文書「羽渕家家系図」に、天正6年(1578年)春、木下藤吉郎(秀吉)、前田利家、森長可らを引き連れて湯治をしたと記録されている。 「信長は何度も命を狙われていたので、行動は秘密になり、湯治の記録があまり残ってないのかもしれません」(歴史紀行作家の上永哲矢さん)

織田信長も入った下呂温泉 【源泉の宿 湯本館】 住所/岐阜県下呂市幸田1084 平成3年に発見された古文書「羽渕家家系図」に、天正6年(1578年)春、木下藤吉郎(秀吉)、前田利家、森長可らを引き連れて湯治をしたと記録されている。 「信長は何度も命を狙われていたので、行動は秘密になり、湯治の記録があまり残ってないのかもしれません」(歴史紀行作家の上永哲矢さん)

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有馬、草津とともに、「日本三名泉」に数えられる下呂温泉

有馬、草津とともに、「日本三名泉」に数えられる下呂温泉

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