ライフ・マネー
地域活性化は「途中で終了しがち」…成功と失敗4例で検証してみる
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2022.01.29 11:00 最終更新日:2022.01.29 11:00
過疎地域の人びとが、自らの手で活性化を目指した事例はたくさんある。その中からいくつかの地域をピックアップし、概要を簡単に紹介したうえで、事例調査から得られた知見を述べる。
(1)宮崎県東諸県郡綾町
綾町は、町おこしの先駆的なモデルとして全国的によく知られている。1966年から1990年まで町長を務めた郷田實は、有機農業や照葉樹林を活用し、地域独自のブランドを積極的につくった。また、大手焼酎メーカーの誘致や酒のテーマパーク建設などを通じて産業観光戦略を立ち上げた。
【関連記事:保健所の「コロナ戦記」第3波で明るみに出た「夜間対応問題」…交代制24時間対応の消防隊との違い】
学校教育においても、地域社会を学校の中に引き込み、学校を地域社会の中に引き出した。これにより人と人が出会う環境づくりを進め、大人がしっかりとした自治意識を持つよう促していった。これについて郷田は次のように述べている。
「たとえば道路で犬が死んでいる。そうすると町民から電話がかかってきます。『犬の死骸があるど。早うかたづけんと臭くなるぞ』。小さいことですが、これもニーズの一つです。これを『わかりました』と言ってかたづければ『ようやってくれる』と喜んでもらえます。しかし、こういう要求はだんだんエスカレートしていくものです」(『結いの心―子孫に遺す町づくりへの挑戦』)
郷田は、町民がいかに役場に依存しているかを指摘し、そうした依存体質を改めるよう促している。その結果として、かつて「夜逃げの町」と呼ばれていた過疎の町が、自然の中での暮らしを求めて移住者がやってくるようになった。現在においても過疎化を食い止めている稀な事例である。
綾町を取材して驚いたのは町長室の位置だった。町役場の入口と窓口のあいだに町長室があり、誰もが覗き込めるようになっていた。人びとのコミュニケーションも盛んであり、町全体に開放感があった。
なお、綾町は都市から近い場所に位置している。県庁所在地である宮崎市との距離は車両で40分以内の通勤圏内にある。また、宮崎空港との距離も60分以内であり、外との交流が容易な位置にある。
郷田もこれを重視しており、積極的に道路を整備し、地域の利便性を高めた。地理的条件のよしあしは、地域活性化を行ううえで大きな要因である。
(2)鹿児島県鹿屋市柳谷
柳谷は、鹿屋市(10万人都市)の中にある過疎地域である。正式名称は「やなぎだに」だが、古くから「やねだん」と呼ぶのが習わしになっている。
1996年から柳谷町内会長を務めた豊重哲郎は、補助金に頼らない地域づくりを行った。失敗を積み重ねながらも、芋焼酎「やねだん」や「やねだん唐辛子」などの商品開発に成功している。また、土着菌を使った肥料や手打ちそばなど、いくつもの産業を地域の人びととつくった。
これにより集落独自の財源確保に成功し、地域再生の神様とも呼ばれている。集落を一つの企業として見立てることで、集落そのものの黒字化を成し遂げた面白い事例である。
そして現在、それが継続されて、よりよく発展しているかといえば違った。自治改革から年月が経てば、おのずと以前の過疎地域の姿に戻る。
たとえば、柳谷集落では芸術家を受け入れて文化祭を開催しているが、「金髪の人が道を歩くのは嫌だ」とか、「その表現は子どもによくない」といった規制がかかり、文化祭の規模は年を追うごとに小さくなっていた。
過疎地域はその人員の少なさゆえ、変わった行動や特殊な容姿は悪目立ちする。おのずと「何々しなければならない」や、「何々でなければならない」といった押し付けが行われる。押し付ける者と、その押し付けを嫌がる者とのあいだに溝が生まれていた。
これはすべての過疎地域に共通している事柄であり、年月が経つにつれて元の過疎地域に戻るのが一般的だった。
(3)鹿児島県霧島市福山町
一つの産業が地域経済を大きく潤した事例として、福山町の黒酢がある。そこでつくられる黒酢は鹿児島県の一地域で使われる調味料だった。それが現在では健康食品として全国のドラッグストアや量販店に並んでいる。
天日にさらされ黒光りした無数の壺は “壺畑” と呼ばれており、一つの見どころとして観光客を呼び込んでいる。地域食材としての黒酢が特産品として日本全国に広がった特殊な事例である。
ただし、潤っているのは黒酢業者のみであり、過疎化は相変わらず進んでいた。地域活性化の成功事例というよりも、企業の成功事例としての側面が強かった。
(4)熊本県水俣市
水俣市は、熊本県の最南部に位置し、鹿児島県との県境に位置している。重く長い公害の歴史を経て、最近では地域活性化が盛んな地域として知られている。
水俣市役所の職員であった吉本哲郎は、地元学なる学びを通じて地域の人びとに生きがいを与えている。それはつまり、地域の中にすでにあるモノを調べて、それを集め、それについて考えて、それらをまとめる。そのまとめたものを組み合わせることで新しいモノをつくる、といったものである。
私が取材したときにも、小学生が「昆虫を食べてみた」といった研究レポートをつくっていた。そうした試みは地域の人びとに浸透し、学び、つくりあげることで喜びを得た人びとが、どんどん元気になっている。学びを通じて地域活性化を目指している面白い事例である。
■調査から得られた知見
簡単ではあるが、4つの自治改革の事例を紹介した。これらの他にも過疎地域の人びとが自らの手で地域の人びとを巻き込み、成果を上げている事例が日本各地にたくさんあった。
それぞれの地域により手法は違うが、自治改革が上手くいっている地域や、上手くいっていた地域に共通しているのは、ボランティアスタッフの頑張りが大きかった。そのため、自治改革には盛り上がりがあり、年月の経過とともに元の過疎地域に戻る傾向があった。
つまり、自治改革が継続されて、よりよく発展しているかといえば必ずしもそうではないという現実だった。
また、自治改革に取り組んでいる者たちと、それ以外の者たちとのあいだには大きな温度差があった。自治改革に取り組んでいる者たちは、都心のような活気が溢れる地域にしたいと考えてイベントなどを企画しているが、それ以外の者たちは「活気などいらない」と考えていた。そのため、そうした活動は中止と再開を頻繁に繰り返す傾向があった。
結局のところ、その途上で終わるというのが、地域活性化のよくある姿だった。それが現実であり、それでよいのではないかと私は考えている。地域の人びとが楽しめているぶん、中央政府が行う、都市を中心に置いた過疎地域対策と比べれば、はるかにマシではないだろうか。
※
以上、花房尚作氏の新刊『田舎はいやらしい~地域活性化は本当に必要か?~』(光文社新書)をもとに再構成しました。過疎地域在住12年の著者が、調査をもとに過疎地域の“本音と建前”を描き出します。
●『田舎はいやらしい』詳細はこちら
( SmartFLASH )