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創業者が語った「ラーメン二郎」誕生秘話…おぼん・こぼんは「出世払いと言ってカネを払わず帰った」
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2022.04.01 11:00 最終更新日:2022.04.01 11:00
ラーメン二郎の創業者・山田拓美氏が3月30日放送の『NONFIX「ラーメン二郎という奇跡~総帥・山田拓美の“遺言”」』(フジテレビ系)で、店の誕生秘話を語った。
1968年、東京・目黒区に店を構え、1970年代、港区の慶應義塾大学の近くに移転して、極太麺と濃い味のスープで人々を魅了してきた。
当初は一般的な醤油ラーメンを出していたが、なかなか客も来ない。閉店を決意した日に、2人の男性客から「こんなまずいラーメン食べたことない」と酷評されたが、「明日も来るからがんばれよ」と激励された。そこから、さらに味にこだわるようになった。
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現在のような油ギトギトのラーメンにしようと思ったのは「やけくそ」と明かすが、1杯100円で売り出すと、またたく間に繁盛店に変わったという。
当時は漫才師のおぼん・こぼんがよく来ており、「出世払いと言って、カネ払わないで帰った」と意外なエピソードも飛び出した。
慶應のそばに移転してから、野菜や豚を増量し、若い学生から愛されるようになった。ニンニクも学生から頼まれて入れるようになったという。
山田氏は79歳のいまも店に出ているが、妻の康子さんも、かつては一緒に皿洗いなどして店を切り盛りしてきた。康子さんは、学生から「慶應の学生はみんな、おばちゃんの子供だよ」と言われ、その言葉を「一生忘れられない宝物」と語っていた。
山田氏のもう一つの “子供” と言えるのが、多くの弟子だ。いまや全国に42店舗を構えるが、いずれも弟子たちが独立したもの。
山田氏は「弟子は人生を3分の2ぐらい落っこちたようなヤツばっか。でも、そういうヤツは行くところがないから、しがみついても何とかしようとする」と話す。「『クビ』と言われてから、初めて本物。それからだ」と愛情があるからこそのスパルタ指導だと明かした。
山田氏の秘話にSNSでは大きな反響が寄せられた。
《ラーメン二郎のドキュメンタリー、素晴らしすぎて感動した 「二郎」に多くの人が心動かされるのがよくわかるわ》
《奥様と学生のエピソード泣けたし、もっと二郎が好きになってしまったかもしれない》
《本当に感動した。総帥に会いたい。二郎食べたい》
「同番組で山田さんは、二郎のスタイルを真似たインスパイア『二郎系』についてコメントしています。
『真似すんなって気持ちがある。そりゃ気に入らないよ。ふざけんなって気持ちがあるに決まってる。ムカつくよ。やって欲しかねえよ』とぶっちゃけました。
飲食店と言えば、利益率の高いビールや餃子などを提供することでより儲けを出すのが一般的ですが、ラーメン二郎では一切なし。山田さんは『酒を売る気もサイドメニューも一切ない』と、ラーメンだけにこだわる矜持を熱弁していました」(芸能ライター)
山田氏が慶應大学の特選塾員に選ばれたことを記念した、最初で最後のドキュメンタリー。ラーメン二郎の味の最高のスパイスは、山田氏のこだわり、夫婦の絆、弟子への愛情、そして顧客への感謝だったのだ。
( SmartFLASH )