ライフ・マネー
セルフトラッキングが変える “他者との関係”…性行為を記録したら夫婦関係が好転
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2022.06.18 11:00 最終更新日:2022.06.30 12:50
2021年4月のこと。アメリカのある女性が出かけようとしたところ、アップルウォッチが彼女の異常を検知した。数メートル歩いただけなのに、心拍数が急上昇したことをアップルウォッチが捉えたのだ。(※1)
最初は誤作動かとも思ったが、彼女は念のためと検査を受けた。すると検査結果は驚くべきものだった。彼女は心臓発作を起こしていたのだ。
【関連記事:チューリップ・バブルで知る「イスラムとヨーロッパ」深い深い関係】
アップルウォッチが捉えた異常は、ウィドウ・メーカー(心臓の主冠状動脈狭窄の俗称)と呼ばれるものが原因で、これが屋外で発生した場合、生存確率はわずか12%であるという。
このアップルウォッチは誕生日に夫からプレゼントされたもので、当初は着けることを拒んでいたが、その日はたまたま身に着けていた。これが幸いして、彼女は九死に一生を得たのだ。
「大切な人のために、あなたもアップルウォッチを贈ろう」。こんな露骨なCMより、この事例が、アップルウォッチのまたとない宣伝になったのは言うまでもない。
しかし、セルフトラッキング・デバイスを贈ると人助けになるというのは、あながち馬鹿にもできない。それは、この事例の女性のように、たまたま命が助かるといったケースがあるから、というだけではない。
セルフトラッキングは、センシングされたデータが匿名加工され、共有されることで、セルフトラッキングの実践者は元より、それ以外の人たちにも多くのメリットをもたらす可能性があるからだ。
アップルウォッチが個人の健康に寄与しうるのは、数多くの人びとのデータが集積したことで、分析精度が向上したからに他ならない。つまり、各人の履歴データが集積され、いわゆる「ビッグデータ」になると、その分析は多くの発見をもたらすので、履歴データを提供した個人は結果的に、他の提供者にも貢献することになるわけである。
熱心なセルフトラッカーの中には、自分を知りたい、最適化したいという欲求だけでなく、自分のセンシングデータを役立ててもらおうと、自発的に友人やフォロワーと共有する人もいる。
さらに熱心なセルフトラッカーたちの中には、自分たちの実践の記録をブログやSNSに公開している人もいる。「他者への貢献」、これが彼らの活動動機になっているのだ。
自発的であれ、非自発的であれ、セルフトラッキングには何れにしても他者に貢献する部分が確かにある。とはいえ、これを動機として実践し続ける人は少数だ。
では、利己的な動機、つまり健康維持や生産性の向上はどうかと言えば、実はこれとて、実践を継続するのに十分なものではないようだ。ある調査によると、ヘルスケアアプリの利用継続率は、2日目には30%、7日目には20%、そして1カ月後には10%に減ってしまうそうである。
そのためアプリの中には何とか継続利用させるために、「ゲーミフィケーション」の要素を取り入れたものもある。ここに言うゲーミフィケーションとは、ゲームのデザインや要素を取り込むことで、特定の行動に向けて利用者を動機づける仕掛けのことだ。
例えば、ある減量アプリは、目標達成ごとにポイントが入手できるようになっており、それがスコアとしてランキング表示されるようになっている。自分のランキングを上げること、つまりスコアボード上の誰かと競い合うことが、目標達成の、つまり減量アプリの継続使用の動機の調達になるわけだ。
これは競争心を利用する戦略だが、承認欲求を利用する戦略もある。例えば、読書アプリ「読書メーター」では、読書の感想を書き込むと他のユーザーから「いいね」をもらえたり、コメントをもらえたりする。他のユーザーとのコミュニケーションが読書習慣を継続させ、アプリの継続使用の動機ともなるわけだ。
これらのアプリの共通の特徴は、自己完結しないこと、つまり、そこに他者が介在するということである。他のユーザーは私にとっての他者だが、私というユーザーは他者にとっての他者でもある。私と他者の、この二重性はセルフトラッキングの要である。
要するに、サービス提供者は実践の広がりの中で、利己的な関心が利他的なものに繋がることを、ユーザーがはっきり意識できるように仕様を変更し始めているのだ。
先述の通り、任意の他者への貢献を意識的に継続できる者は少ない。しかし、相手が自分のパートナーとなれば話は別だろう。夫婦関係や恋愛関係はとりわけ関係性の維持にコストがかかるため、現代の夫婦や恋人たちの中には、巧みにセルフトラッキングを取り入れている者たちがいる。
■セックス・ライフ・トラッキング
ウィーン大学でジェンダーを研究するボカ・エンらは、恋愛関係や夫婦関係の維持を目的としたトラッキングアプリの活用について、興味深い事例を報告している(※2)。
それは、自分のセックス・ライフをトラッキングしたマイルズ・クレーという男性の事例である。そのあらましは、次のようなものだ。
マイルズは、自分の性的な満足感を高めることに関心があり、普段から「自分のセックス・ライフを改善するには、自分のセックスを評価することが必要だ」と感じていた。そこで彼は、セックス・ライフをトラッキング可能な3つのアプリ(Intima、Love Tracker、Track My Sex Life)をスマホにインストールして、妻の合意の下、2週間にわたって各回のセックスの時間、行為の種類、場所、満足度などを記録することにした。
これらのアプリは、セックスの相手方とデータを共有することができ、互いのセックスを評価し合えるようにもなっている。そこで、マイルズ夫婦はデータについて話し合い、セックスに関する互いの理解を深め合うことにした。
その結果、マイルズによれば、記録を開始してから2週間の間、妻からの評価はいつも満点になり、夫婦関係も良好になったという。
この事例の興味深い点は、トラッキングの当初の目的が、最終的には別の結果にも繋がったことである。つまり、マイルズは自分の性的な満足感を高めるという、利己的な関心からトラッキングを始めたわけだが、最終的には夫婦関係が好転するという、妻にとっても利益のある結果になったのだ。
このような結果になったのには、いくつかの理由が考えられる。その一つは、夫婦の間でデータが共有されたことで、セックス・ライフに関する互いの暗黙の了解が可視化され、それについて率直にコミュニケーションする機会が得られたことだろう。
性的満足度の向上そのものよりも、データによる可視化と共有によって、言語化しにくい事柄がコミュニケーション対象になったことが、このような結果に繋がったと考えられるのだ。
【参考文献】
(※1)Meredith TerHaar.( 2021, July 5). Norton shores woman credits Apple watch for detecting heart condition. Retrieved from https://www.wzzm13.com/article/news/health/norton-shores-woman-credits-apple-watch-fordetecting-heart-condition/69-6b2db4b5-2d3f-47f0-a069-2d0961bbec4b
(※2)Boka En and Mercedes Pöll: Are you( self-)tracking? Risks, norms and optimisation in self-quantifying practices, Graduate Journal of Social Science, 12( 2), pp. 37-57, 2016
※
以上、堀内進之介氏『データ管理は私たちを幸福にするか? 自己追跡の倫理学』(光文社新書)をもとに再構成しました。ヘルスケアを始めとする自分自身の状態や行動のトラッキングが、他者や社会にも役立つ可能性を考えます。
●『データ管理は私たちを幸福にするか?』詳細はこちら
( SmartFLASH )