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焼き肉チェーン店で訪れた転機「教育の夢」が花開いた
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2017.05.11 16:00 最終更新日:2017.05.11 16:00
教育者を目指した男が挫折を味わい、演劇と出会った。しかし、最後にたどり着いたのはやはり「教育」だった!
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森憲一さん(45)は、社員教育によって高い業績を生み出す仕組み作りのプロである。「小学校5年生のときから高校2年生の夏まで、小学校の先生になるつもりだった」と語るように、教育への関心はもともと強かった。
高校2年生のとき。後輩の一人が退学させられそうになり、理事長に掛け合いに行った。すると容姿も日ごろの言動も誠実を絵に描いたような理事長が、「クズはどこまでいってもクズだ。クズとつき合っていたらお前もクズになるが、いいのか」と言い放った。愕然とした。
東京にある中高一貫の私立校で、生徒一人ひとりの価値を尊重することが教育理念として謳われていた。大阪出身の森さんは寮生活をして、中学から通った。表と裏のある学校の実態。
「いい先生になっても、学校の組織が腐っていたら無駄だ」
多感な高校生はこの日を境に、人生の目標を学校創りに変えた。
「そんなとき書店で手にしたのが、倉本聰の著作。それが運の尽き。北海道の富良野で塾生と土地を開墾して学校を建て、演劇を通じて人間教育をしているという内容。これだと思った。映画とか演劇の勉強をしたいなんてこれっぽっちも思っていなかったけど、大学ではなく劇団に入ったほうがいいのではと、親に話した」(森さん)
「何のために高校に行かせているのか」と親に泣かれ、先生に進路を相談した。そして演劇を学ぶ大学があることを教わり、一浪後、日本大学藝術学部映画学科に入学。
ところが思い込みの強い青年は、入学後にギャップを感じる。映画や演劇を本気で学ぼうとする学生は二割もいなかった。ショックだった。退学したいと親に話すと「卒業してくれ」とまた泣かれた。大学の先生に相談した。すると「君の本気を磨いてくれるところがある」と劇団を紹介してくれた。
「超マニアックなアングラ劇団。これがすごくて『お前の自己認識は? 国家、社会をどう思っている!』と総括される。大学卒業後も26歳まで、自己啓発セミナーの“70倍ぐらい”厳しい環境で、脚本を書くなど劇団に関わっていた。
教育に関わりたくて劇団を辞め、昼は働き、夜は学校で教育に必要な心理学を学んだ。そして28歳のとき、森さんに結婚という転機が訪れる。お相手は当時勤めていた会社の社長で、現在は仕事のパートナーだ。
社長と部下の関係を考慮して会社を辞め、焼き肉チェーン店を展開する「レインズ」に応募。当時は「牛角」を中心に全国に100店舗ほど、社員も100人足らずと小さかった。社長直々の面接で「教育関係をやりたい」と希望を述べると、「まずは店舗で成果を出してから」。入社1週間で、閉店が懸念された赤字店に店長として配属された。
右も左もわからない新米店長、アルバイト店員たちとの個別面談、黒字にするための意識改革、全員での損益計算書の勉強会、心の交流、毎日手伝いに来た森さんの奥さん……。森さんと15名のアルバイト店員、そして奥さんの黒字を目指した9カ月にわたる熱い闘いぶりは、ドラマ化を期待したいほど感動的だ。9カ月後、チームとして一つにまとまった店は売り上げが2倍、利益は大幅に黒字となり、会社から「表彰されまくった」。
「店長のあと本社に行き、チェーン店全体のアルバイト教育の仕組み作りに関わった。それが今の仕事の基になっている。100店舗が4年半後の退社時には1800店舗。勢いのすごいときで、寝る時間もなく仕事をした。“25年分ぐらい”働いた。
あのころに戻りたいとはまったく思わないが、本社での仕事がなかったら今の自分はないと思うし、アルバイトの子たちとあの店がなかったら今の自分はない」
森さんは32歳のとき、(株)サードステージカンパニー(現サードステージコンサルティング)を起業。会社から社員を預かり、チームで課題に取り組んだり、生徒が主体的に問題を考えたりする学習をおこないながら、目標をみんなで追いかける半年間限定の学校である。会社訪問や、「生き生き働く」ための組織作りを社長と話し合うなど多忙な毎日を送っている。これまでに1000社以上の会社と関わり、業績を挙げてきた。
「朝4時半に起きて生徒たちの意識の変化をチェックし、どうしたらもっとよくなるかを考えることで13年過ぎた。自分のことを考える時間がない。大変だが生徒のことを考えるのが楽しいから、これからも変わらない」
発見と工夫の毎日。小学校と企業という現場に違いはあるものの、森さんは、教育の最前線で、生徒たちの成長を支えている。
(週刊FLASH 2017年5月23日号)