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ホリエモンに触発された男が「ブログ開発」で人生を開くまで
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2017.06.29 11:00 最終更新日:2017.10.17 15:28
データ管理のシステム作り。ひとつの考えが編集者の人生を変えた。IT時代の到来に、男はどのように対応したのか!?
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佐々木睦夫さん(51)が会長を務める「シーサー」はIT系の会社で、インターネット向けのサービスや技術開発をおこなっている。ブログサービスでは国内屈指の会員数やアクセス数を持つ。佐々木さんの現在に至るまでの道程はけっして平坦ではなく、必死の努力を重ねることによって得たものである。
しかし、実際の佐々木さんはそんなことを微塵も感じさせない。人を包み込む優しさと穏やかさに満ちている。仕事上の転機はこれまで二度あった。一度めは大学卒業後に就職した、法務関連書籍などの出版で有名な「ぎょうせい」を辞めて、転職したときだ。
「前職では編集を担当していましたが、すべてが紙に限られた世界で、使い勝手が悪いと常々感じていた。パソコンが普及し始めたころに、構造化したデジタルデータをシステム的に管理する有効性について、思い切って上に提案してみました。すると、当時社員が2000人以上もいた会社の上層部にまで通ってしまい、それでやるしかなくなった。いろいろな本を買ってきてシステムの勉強をしました」
しかし会社の応援は十分ではなく、当時の給料の3倍もするパソコンを自ら購入し、基本設計を考えてデジタル化を進めた。
ところが大会社のセクショナリズムや人間関係によって、プロジェクトの方向性に違和感を持つようになった。「君にまかせる」と言われたが、結局組織の枠組みからは抜け出せないと、やる意味を見いだせなくなった。
悩んだ末に転職を選択したが、管理システムを作る機会が与えられていなければ、「シーサー」に至る道はけっして開けなかった。
「声をかけてくれたのが堀江貴文さんの「ライブドア」の前身「オン・ザ・エッヂ」。35歳のときで、前の会社では係長にもなれない年でしたが、ここでは社長の堀江さんもまだ20代。幹部や技術者たちも若くて金髪やラフな格好で、びっくりしましたが、勢いがあり、みんな目が賢そうだった。この会社で揉んでもらったら、この世界でもやっていけるかもしれないと思いました」
2000年の冬に入社。その日、組み立てて使うようにとバラバラのコンピュータが置いてあった。経費の節約と同時に、それくらいの根性がないとうちではやっていけないというメッセージと解釈した。
仕事は企業のホームページを制作するディレクター。ところが使うシステムが異なり、話される言葉の意味がまったくわからない。挫折しそうになりながら、わからないことを理解することから始めた。忙しいときは会社に泊まり続けた。
「初めはディレクターとして偉そうに行ったのですが、あまり知識がないということがすぐばれて、周りからちょっとこの人どうなの? 上司からも鳴り物入りで入ったわりには期待はずれみたいな目で見られた。これはもう仕事をやって覚えるしかない。仕事をやらせてもらう形でやらなければいけないので、そのためには寝ないでするしかなかったですね」
頑張った甲斐があり、1年たたずにプロデューサーに昇格。給料も大幅に上がった。しかしそれだけ責任は重くなり、売上げ目標を課され、また家に帰れない日が続いた。
2003年の春、佐々木さんは会社を辞めた。「完全に疲れてしまって、まずは寝たかった」。その後しばらくして行政書士の個人事務所を始めた。周りに若くして会社を立ち上げる人が多かった。 開業して半年後、軌道に乗りかかったところに一本の電話。「オン・ザ・エッヂ」の同僚からで「一緒に会社をやらないか?」。
こりごりだったが酒の勢いも手伝って、結局四畳半ほどの部屋を借りて3人で「シーサー」を始めた。2003年10月のことで、佐々木さんは代表取締役に就任した。二度めの転機である。
「このメンバーなら企業の受託業務など最低限のことはできると、勝算はあった。それをしながら自分たちで始めたサービスを育てて、受託で出る利益を設備に回していけるのではないかと。すぐ資金不足に陥るなど苦労しましたが、半年ぐらいたつとブログブームが来て、我々のサービスや技術が注目され始め、それにうまく乗れました。14年めですが、厳しい世界で完全に独立型の会社を創業者が続けている。よくぞここまでやり抜いてきたなという感じがします」
会社は業績も好調で、東京以外に京都とベトナムのハノイに事務所を置く。佐々木さん自身は2010年の暮れに社長を退き会長に就任した。以前は50歳になったらやりたいことが生まれればと考えていたが、実際にその年を迎えると違う思いが湧いてきた。
現在は会社の下支えと同時に、事業資格や経験を生かして、社会を下支えするような活動をしたいと考えている。この「下支え」という言葉に、佐々木さんのこれからの人生に対する強い思いがこめられている。
(週刊FLASH 2017年7月4日号)