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ホテルマンからIT業界へ移った男「起業」するも社長に向かず
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2017.07.27 11:00 最終更新日:2017.10.17 17:03
やりたかった社長業を始めて、社長の資質に欠ける自らの重大な欠点に気づいた。それは何か? 克服は可能か?
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「僕の最大の転機は、29歳のときに仕事の関係でサムライワークスの新島実さんと会うたこと、そしてその後、新島さんの紹介で日本ソフトウエアの桶川秀次現会長に会うたこと。それがなかったら東京に来ることもなかったし、大阪でいろいろな営業して、会社やりたいなあと思っているだけで終わっていたかもしれない」
関西弁混じりのソフトな口調で語るのは矢追龍之介(44)さんだ。
矢追さんは京都出身。高校卒業後、ホテル専門学校へ進み、修了後、大阪のホテルニューオータニに就職。3年ほどホテルマンとしての楽しさと辛さを味わったが、好きなときにホテルを利用する客側になりたいとの思いが強くなり、辞めた。
その後、旅館の営業、シャンプーの販売、OAサプライ会社の営業と、やりたいことがわからないまま転職を重ねた。そして「ITのエンジニア募集、未経験可」の広告を見て、IT企業に入社。これがITを始めるきっかけとなった。
「2004年、31歳のときに新島さんから、会社を作るので一緒にやらへんかと誘われ、東京でやるので来てくれへんか、ということになった。あんまり後先のことを考えずに東京に出てきた。それ以来ずっと東京。会社を作るときに出資してくださったのが日本ソフトウエアの現会長。以来お世話になっている。新島社長と僕とほか3名で「サムライワークス」という会社を始めた」
ウェブ制作、開発、スマートフォンのアプリの開発などをおこなう会社である。矢追さんはウェブのプロデューサーとして、制作や開発に関して客との間に入って調整をおこなった。
同じIT企業でも大阪時代はネットワークのエンジニアで、どちらかというとハードウエアを扱うインフラ回りの仕事だったので、ウェブ制作は初めての体験で一から学んだ。
会社では社長に次ぐポジションで、順調に業績を伸ばし、社員はマックスで80名ほどになった。しかしIT企業の競争は激しい。会社は新規事業としてスマートフォンケースの制作を始め、そちらにシフトしていき、やがてIT事業から撤退することになった。
ITを続けたかった矢追さんは会社を辞めることにした。9年めの2012年のことである。そして自ら「インヴォーク・ジャパン」を設立した。
「資本金980万円、一人で立ち上げた。資本金は自己資金と、桶川会長から足りないぶんを出資していただいた。仕事の内容はウェブやスマホのアプリの制作などこれまでと同じ。
初めて社長をやってみて、まず僕には大きな欠陥があると思った。経営者として、自分の金と会社の金の区別はわかっているつもりなんやけど、会社の金が減るとすごく切なくなって辛くなる。本当の経営者なら勝負するところは金をかけて勝負するんやろうけど、僕の場合は減ることがメンタル的に辛い。それに、会社の経営がわかってないまま、やりたいという気持ちが先行して起業した気がする」
3年続けたところで、桶川会長からそろそろ一緒にやらないかという誘いを受けた。東京のIT事業を本格化させ、まかせたいということだった。どうするかいろいろ考えたが、これまでしっかりとした組織の会社に所属したことがなく、会社運営はどのようにするものか学びたい気持ちもあった。資本金の一部は会長の出資でもあり、吸収合併してもらうことにした。
2015年、42歳のときだ。
矢追さんは現在、日本ソフトウエアの執行役員であり、東京事業部の部長である。関連会社の取締役も兼ねている。入社して2年たち、まだ規模は小さいが、東京事業部の社員数は当時の倍近くになった。大阪本社は約120人の社員がいて組み込み型ソフトウエア、たとえば自動改札機の制御ソフトの開発などをおこなっている。東京はこれまで矢追さんが活動してきた分野での発展を目指している。目標社員数は100人、組織を大きくすることが 自分の使命だと思っている。
「そのためには独自のものを作っていかなければいけない。大切なのは売るもんのよさと営業。大阪はコアのお客さんがいるが、東京はまだ少ない。いいもん作るにはいいエンジニアが必要。東京ではそれがまた大変。人の育成が重要。ただ、ちょっと失敗したら事務所費用さえ払えなくなる社長時代と違い、チャレンジしたいと思えば本社と調整し、認めてもらえる。仕事の範囲が広がった。自分でやってたら目先の銭が儲かる話しかしにくいので……」
技術革新のスピードはものすごい。5年後の予測すらできない。
「全然ちゃうもんになってるやろなあ。まあでも結局は人が使うものだと思うし、技術的には変わっても、人が望んでいるものは何かというところまでは変わらないと思う」
そして、ついていけるかの問いに、自らに言い聞かせるように優しい声で「頑張り続けるしかないんじゃないですか、この業界では」と答えた。
(週刊FLASH 2017年8月1日号)