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自宅で看取るということ「酒やタバコが欲しい」と言われたら…専門家が疑問に答える
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2023.05.31 11:00 最終更新日:2023.05.31 11:00
自宅で大切な家族を看取るには、どうしたらいいのでしょうか。私自身の経験をもとに説明したいと思います。
■することがなくなって手持ち無沙汰になる
大切な人が人生の着地態勢に入る頃になると、周りの人が本人に対してできることが減っていきます。
「どこへも行きたくない」と言われれば、外出を勧めることもできません。「食べたくない」と言われれば、無理に食べさせることもできません。
それで家族は、「何もしてあげられない」「何をしたらいいのか」と、手持ち無沙汰になってしまうのです。私たちは、何かすることのある方が、大変ではあっても落ち着いていられるのですね。
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じっとしているのに耐えられなくなると、本人のためというより自分の不安を鎮めるために、ガタガタと動いてしまうことがあります。とにかく病院に連れて行ってみる、といったように。
ご本人が望まないのであれば、何もしなくていいのです。ただ、そこにいること。い続けること。着地間近の人には、同じ空間にいて同じ時間を過ごすことが、大きな意味を持ちます。
■「食べたくない」と言われて心配になる
「何も食べたくない」と言われると、家族は心配になります。生きていくためには食べなければならないと、私たちは本能に刷り込まれているからです。食べない理由を尋ねたりしますが、尋ねられてもご本人にもわかりません。死に向かう体がもう栄養を欲していないのですが、ご本人にもそれはわからないからです。
また、なんとか少しでも食べてもらいたいと工夫して作ったのに「いらない」と無下にされれば、カチンときてしまうこともあるでしょう。「じゃあ、食べなくてもいいわよ!」と怒ってしまったことが私にもありました。
家族ですから、けんかすることがあってもいいと思います。でも、私は「ひどいことを言っちゃった」と、あとで後悔しました。来世では、「何か食べたいものを思いついたら言ってね」と穏やかに対応しようと思っています。
■食べられない人の前で食べるのはNG?
また、食べられない人の前で食べるのはNGとお考えになるかもしれません。私も夫が食べられなくなった時、子供たちと別の部屋で食事をしようとしました。ところが夫は、「ここで食べろよ」と言い、子供たちが旺盛に食べるのを、「気持ちがいいね」とニコニコしながら見ていました。
緩和ケア病棟の患者さん方に尋ねてみても、むしろ食べてほしいという方が多くいらっしゃいました。「食べたくない」方でも「食欲」はあるのです。あれこれと食べたいものが浮かぶそうです。でも、いざそれが目の前に出てくると食べたくない。だから、代わりに食べてほしいと。自分の食欲を、他の人に食べてもらうことにすり替えて昇華しているのかもしれませんね。
■「まだ大丈夫」と「もうダメかも」の間で揺れる
医療従事者から見れば「もう間もなく亡くなる」という状態でも、家族は最後の最後まで希望をつなぎ「もうダメかもしれない」「いや、まだ大丈夫だ」と大きく揺れ動きます。この振り幅が辛いのです。その辛さを和らげるために「やれるだけやろう」となってしまうことがあります。
しばしばあるのが「先生、点滴だけでもしてください」というご家族からの切実な希望です。心情を汲んで、ご本人にとっては必要のない点滴であっても、ご家族のために開始することも少なくありません。ただ、そうすることでご本人に負担がかかる場合もあるのです。自分たちの希望のために、ご本人に負担を強いることのないようにしたいものです。
■お酒やタバコがほしいと言われて拒む
「長生きしてほしい」という自分たちの願いのために、ご本人の願いを退けてしまうこともあります。たとえば、「お酒を飲みたい」とか「タバコを吸いたい」と言われた時、多くの人は「体に悪いのでは」と躊躇するのではないでしょうか。一般病棟では、やはり「ダメ」と言われると思います。悪影響があるかもしれないものを摂取させるわけにはいかないという、医療の論理が優先されるからです。
しかし、着地態勢に入った人にとって、やりたいことをやる時間はとても貴重なもの。「ああ、今日もお酒が飲めてよかった」「タバコがおいしい」と思いながら日々を過ごせるのであれば、その方がいいに決まっています。
■奇妙なことを言われて否定する
亡くなる1か月前頃になると、私たちには見えないものを見て不思議なことを言ったりしたりすることがあります。“お迎え現象” と呼ばれるものです。お迎え現象にもさまざまな内容がありますが、ご本人が困っていたり怖がっていたりするとなると、黙って見ているわけにはいきません。
たとえば、「虫がいる」というような場合です。最初は本当に虫がいるのだと思い、「どこ?」と聞くのですが、「そこ!」と指差すあたりを見ても、何もいません。逃げたのかと思っていると、また「虫がいる!」と言います。しかし、何もいません。そんなことを何度か繰り返すうちに、家族はそれがご本人の思い込みだと気付きます。そして、「虫なんていない」と躍起になって否定します。
しばらくは「いる」「いない」の応酬ですが、何日か経つうちに、何も言わなくなります。「やっとわかったんだ」と家族はホッとしますが、そうではありません。言っても、言っても否定されるので、言うのをやめただけ。ご本人には相変わらず虫が見えているのです。
虫がいてイヤで仕方がないのに誰も助けてくれないとしたら、とても不安でしょう。このような時は、相手の世界を否定せず、こちらが相手の世界に入る必要があります。「虫がいる!」と言われたら、「じゃあ、退治しよう」と答えて、追い払ったり殺虫剤を撒くふりをしたりする。あるいは、「寒くなったから、そろそろ虫もいなくなるよ」と慰める。
そんなふうに、ご本人の世界の中で、ご本人が安心できるようにすることが大事なのです。
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以上、『まんが版 死にゆく人の心に寄りそう』(光文社新書/玉置妙憂監修、PECOまんが)をもとに再構成しました。現役看護師の女性僧侶が経験した在宅死。残される家族に必要な心の準備をまんがで紹介します。
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