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「どんなキャラで臨めばいいか…」個人の人間性を単純化する「人間のキャラ化」大きすぎる問題点

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2023.09.25 16:00 最終更新日:2023.09.25 16:00

「どんなキャラで臨めばいいか…」個人の人間性を単純化する「人間のキャラ化」大きすぎる問題点

 

 日本はキャラクターの国でもある。日本に移り住んでから、キャラクターを目にしない日はほとんどない。新商品やメディアなど、あらゆる空間でキャラクターのイメージが氾濫している。

 

 なぜ日本社会ではこれほどキャラクターのイメージが活用されているのか。

 

 精神的に落ち込んでいる人間は、合理的で効率が良く情報量の多い教科書的なメッセージよりも、エモーショナルなメッセージを欲する傾向がある。その観点でも、人間や動物などに似せたキャラクターを通じてのコミュニケーションは説得力を持つ。同じ情報だとしても、私たちが受け入れやすいのだ。

 

 

 他にも、感情移入しやすく、パーソナルなコミュニケーションが苦手な日本人でも接しやすいといった長所がある。

 

 だが、ここでは、「キャラ」の危険性に触れたい。危険性とは、精神科医の斎藤環も指摘している、日常的な人間関係まで浸透した人間の「キャラ化」である。

 

 斎藤は、日本の学校の教室ではキャラ化した若者がキャラの生態系をつくっていると述べる。陽キャ、陰キャ、いじられキャラ、真面目キャラ……。生徒たちは自身が持つ性格の一側面を拡張してキャラとして身につけ、そのキャラを表出することで、生態系の中で単独の役割を果たす。

 

 この生態系の中でキャラは人格の一側面である以上に、集団に欠かせない専門的な役割を担っている。だから、集団において「他人とキャラが被らない」ことは鉄則だ。

 

 斎藤によると、人間関係におけるキャラは「再帰性」を伴う。認識(結果)が自身のあり方(原因)に影響を与えるということだ。わかりやすくいうと、「●●キャラ」扱いされ始めた人が、それに引っ張られて自身の振る舞いを変えるといった話である。

 

「キャラ化」する人々(特に学生など若年層)に対する懸念は、実際の人間関係において単独の役割を押しつけることが不健全だという点である。

 

 例えば「いじられキャラ」の人だって、いつでも笑いや悪口の対象になることを受け入れられるわけではない。嫌になることもあるだろう。しかし、嫌がる姿を見せてはならない。これはほとんど義務に近いニュアンスだ。

 

 日本社会にキャラ文化が浸透していることには理由がある。端的に、個人の固有性を全て受け止めるよりもキャラとして取り扱った方が制御しやすいからだ。

 

 キャラには他者が特定しやすい要素が求められる。それは本人の「真実」ではなくとも構わない。省略された人格によって社会的役割を果たすのが目的であり、本人の自己感情を表出することが目的ではない。

 

 キャラ文化においては、主となる性格と違う姿を見せてしまうと、「らしくない」とネガティブに捉えられかねない。それは息苦しいことだ。

 

 キャラ文化にはこの他にもリスクがある。筆者が実際に聞いたセリフを使って説明してみたい。

 

「今回のパーティーにはいろんな友達がいて、どんなキャラで臨めばいいか戸惑っています」

 

 この発言を初めて聞いたときは「これが異文化の衝突か」と、その強烈さに戸惑った。それと同時に、日本のさまざまな問題点が垣間見えた気もした。

 

 ここでいう「いろんな友達」とは、学校、職場、趣味など、自分の生活の異なる場面で付き合う人たちのことである。つまり、このセリフを言った人はそれぞれの場面で違うキャラを提供している。きっと、他者と被ってはいけないという原則の下、そうしているのだろう。

 

 だからこそ、異なるコミュニティの人が集まる場所で、どのときの自分を演じればいいのか迷っている。別のキャラを見られてしまうと、キャラの「魔法」が解けてしまうと思っているのだ。特定のキャラに慣れきっている人たちに対して突然違うキャラを見せれば、変な雰囲気になるだろう。

 

 この悩みは、キャラが人間の一つの側面しか持てないことで生じている。いじられキャラであれば場を仕切ることができない、非モテキャラであればかっこよさを見せられない、天然キャラであれば賢いところを示せない……。

 

 普段と違うキャラを示すのは、周囲にとってストレスになるだけでなく、示す側も、相手に見せたことがない側面を初めて提示してどう思われるか不安になり、自然体でいられない。

 

 現代の心理学で最も知られているであろう性格モデルは「ビッグファイブ」と呼ばれるもので、性格特性を5つの因子(開放性、誠実性、外向性、協調性、神経症傾向)に分類している。5つだけの項目とはいえ、各項目をサブ要素にも分けられるため、組み合わせの数はかなりある。

 

 このことを考えると、キャラ文化がどれだけ個人の人間性を単純化しているかが理解してもらえるだろう。

 

 

 以上、パントー・フランチェスコ氏の新刊『日本のコミュニケーションを診る~遠慮・建前・気疲れ社会』(光文社新書)をもとに再構成しました。イタリア人精神科医が診る、日本社会のコミュニケーションの本質とは。

 

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( SmartFLASH )

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